小さな夜空
水が泥色だからと蛇口を全開にしてしばらく野原に放出していたら、急に出が悪くなった。もう暗くなっていたけれど懐中電灯を持って水取り口のある沢に出かけた。沢も枯れてはいなかったし、タンクにちゃんと水は注ぎ込んでいたので安心して来た道をまた戻ると、目の前に冴え冴えとした三日月と満天の星。(K)
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水が泥色だからと蛇口を全開にしてしばらく野原に放出していたら、急に出が悪くなった。もう暗くなっていたけれど懐中電灯を持って水取り口のある沢に出かけた。沢も枯れてはいなかったし、タンクにちゃんと水は注ぎ込んでいたので安心して来た道をまた戻ると、目の前に冴え冴えとした三日月と満天の星。(K)
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アトリエから道に出た途端、ヘッドライトに照らさし出されたのは小さなウサギだった。その逃げて行く姿に惹きつけられた。右に左にとジグザグに進みながら逃げるのは、敵をはぐらかす為に身に付いているウサギの習性なのだろう。
暗闇に消えた後もしばらく頭の中の残像に向かって「かわいい〜かわいい〜」と叫んでいた。無垢を表象するものに直に接触すると最内部で化学変化が起きる。
しなやかで軽やかな野生の動きを忘れないようにと、家に着いてすぐにノートに描いた。(K)
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アトリエが近くなるに従って谷が深くなり空も細長くなる。遠くまで続く空を見上げながらペダルを踏むのが大好きだ。車はたまにしか通らないからのんびり走ればいいのだが、いつも国道から外れて田舎道に入った途端スピードを上げる。レースみたいにぐんぐん漕ぐ。息がきれるくらいに。
カーブを曲がって尾根の向こうに出たら、目の前に白く大きく横に膨らんだ雲が現れた。それはちょうど翼を広げた鳥のようだった。山のような大きな鳥だ。頭の形もはっきりしている。
「あれは天使だ」と呟いた。ちょうどあの下が私の仕事場だと思うと心弾んだ。(K)
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レリーフを彫りながら突然閃いた。林立する森の幹の下の方を細くしたらどうかと。いつも樹木は下から見上げるか、横から眺めるかしかして来なかったけれど、もし上からの視点で森の奥深く分け入るように見渡せたら面白いだろうなあ。彫り直してみよう。(K)
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昨夜、アトリエにずっと置きっ放しだった水彩用のパレットと絵の具と筆を持ち帰った。春のあたたかな日がやって来たのが嬉しくて、これから毎朝気楽に絵を描こうと思ったからだ。以前はアトリエから眺める野山をよくスケッチしていたのだった。ところが、だんだん周りに家が建ち始めて、優しく素朴だった人たちが亡くなって、気がつけば私がその人たちの年齢になっている。もう石を彫る合間に外に椅子とテーブルを出して絵を描くような長閑さはない。同じような大きさの同じような生活感情の凌ぎ合いに息がつまるからだ。私のお弁当を分けてもらおうとやって来る猫や狸もいなくなった。
30年以上も前にすでに日本という国のさみしさは見抜かれていた。オランダから来たアーティストがちょっと街中を散歩して言った言葉「closed people」窓は閉め切られカーテンや簾で隠されていて中に誰がいるのか見えないようにしているってことが怖かったらしい。
車から降りて月を見ようと空を見上げたら、大きな翼の形をした雲が白く浮かんでいた。近くに星が二つ瞬いていた。今朝になって星座表の円盤をくるくる回して時刻と日付を合わせてみたら、あの星は双子座だということが分かった。(K)
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アトリエに着くとまずストーブに薪を焼べる。そしていつものようにすぐに石を彫り出した。彗星を彫っていたら、ふと、昼間見た三人官女の装束を着けた子が浮かんだ。彼女の踊っている姿を描きたくなった。このイメージは、次のレリーフに使えるかもしれない。メモ用の画用紙が貼ってある壁に向かって蛍光色の色鉛筆で描いていった。すでにピアノを弾く人がいる。ちょうどいいではないか。彼女が来ている緋色の袴の裾のふくらみが綺麗だった。(K)
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ゲーテの『ファウスト』に出てくるホムンクルスが、海に揉まれて命を吹き込まれるところが好きだ。なんともセクシーで雄大で海の感触が微細に伝わって来る。波の形を知っていなくてはあんな風には書けないだろう。海の底の色まで知っているようじゃないか。
昨晩から次のレリーフの為のスケッチを始めた。月に照らされた森を駆け抜けるホムンクルス、彼はガラスの器から解放されて嬉しくてたまらない。はしゃぎ回っている。(K)
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昨夜見た鹿を描いてみた。黒いシルエットで浮かび上がった立派な角と後ろ脚を思い出しながら。角の先まで2メートルはあるだろう。あの角で飛びかかって来られたら私の自転車なんてひとたまりもない。全速力で逃げても鹿の方が速いに決まってる。あんな大きな野生の生き物がすぐ近くにいることが不思議だ。考えてみたら、このアガノ村は森林が占める割合が9割を超えている。人間よりも野生の動物達の数の方が遥かに多いのだ。
今夜も鹿が鳴いている。ぴ〜お〜 き〜お〜
音を覚えておいて、家に入ったらすぐにピアノの鍵盤で音程を探った。次々鳴らしてみるが、どれも違う。ガハクがギターで私の口真似を頼りに探してくれた。どうもシとレじゃないかということになった。レが少しせり上がる感じ。バイオリンで弾いてみたら簡単だった。鹿の鳴き声はバイオリンでだったら再現できる。鹿にも個体差があるだろうから、これからは耳を澄まして音を覚えよう。アガノ村の鹿たちの声を。
「何を鳴いているんだろう?」とガハクは言う。きっと女の子を呼んでいるのでしょう、寂しそうな声だから。
「お母さんを呼んでいるのかもしれないよ」そうかもしれない。(K)
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「見ないで描けないものが見て描けるはずがない」とジャコメッティが言っているそうだ。確かに石に彫るときに横にモデルを置いてはできない。頭の中にすっかり入っているからこそ、石の中に彫るべきラインが見えてくるのだ。
初めてガハクの顔を彫ろうとしたとき愕然とした。紙に描き、粘土でもエスキースを作って、いざ石に向かったときの不甲斐なさ。表現する意欲はあっても、技術と知恵と力が不足していた。それまで賞を取ったりして自信もあったし作家の仲間入りしていたつもりだったのにこのざまはなんだと思った。抽象形体の彫刻ばかりを彫っていたから内的な豊饒さが半分脱落してしまっていた。それに気が付いたのはまだしもの救いだった。
これまでにガハクの顔はずいぶんノートや画用紙に描いた。これは20年前に描いたものでガハク40歳の肖像。アトリエで思い出しながら描いた。まだ髪がふさふさだ。ヘアーカットはいつも私がやっているから髪型も頭部の形もすっかり分かっている。唇は薄くて爽やかだ。目は大きくて眉が太い。大好きな人の顔は見ないでも描ける。
でもガハクは今の顔の方がずっといい。まだ描いていないから描こう!(K)
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彼女はまだ生きているのだろうか?しばらく会っていなかった彼女からの突然電話は、癌で5つの臓器を手術して何とか生き延びているとの近況報告から始まった。
「生きたいという意欲はある、この世への執着かもしれない、だけれど覚悟はしている、そろそろ丸山ワクチンだけにしようかと思っている、いつも手袋をしている、そうしないと触れるものの刺激が強くてたまらなく痛いから、、、
お二人は相変わらず絵と彫刻に生きているのでしょうね、ああいいなあ、またふらっと遊びに行きたいな、体の調子がいいときは少しの旅なら一人でも大丈夫なの、トイレの在り処をチェックしてさえおけば出来るはず、私昔と違ってすっかり痩せているから見たら驚くわよ、、、」
養母の故郷の福島県会津地方の林檎を毎年送ってきてくれたのだが、震災の年からプッツリ音信が途絶えた。どうしているか私はたずねない。ずっといつもそういう付き合い方をしてきたから。元気ですか?
20年前に彼女の全身像を大理石に彫った。これはその頃に描いた『泣く女』の為のイメージデッサンだ。(K)
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