彫刻

フォークリフトの導入路に敷石

今までここからフォークリフトで入ろうとするとタイヤが滑って苦労していたのだけれど、これでもう大丈夫だ。すごく重くて大きなコンクリートのブロックを敷き詰めたからね。

ひとりで出来るやり方をずっと考えていたんだ。庭仕事みたいに簡単にやれて、何にも材料も買わずに済むようにと。家の庭にリンゴの木を植えた時に、地中からいっぱいコンクリート片が出て来たのを使った。これらのコンクリートブロックは、60年くらい前にこのアガノ村に電気を通すために作られた変電所の基礎だったものだろう。

何が何の役に立つか分からない。こういう作業をしてみると毎日やっている筋トレの効果を感じる。今日はとても満足した。嬉しかった。最後に水を撒いてコンクリートを洗い、足で地面を踏み固め、少し離れたところに立ってしばしうっとりと眺めていた。(K)

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アトリエの大掃除

アトリエには床はない。足元は地面のままだ。石を彫るにはこの方がいい。ゴロゴロと大きな石を転がしたり、重い石を梃子でこじって動かす時には地面の方が便利。だから掃除機をかけると言っても、石の粉が積もっている桟や天井や壁に向かってノズルを当てる。よく使う真ん中の部屋だけ丁寧に掃除した。あとは適当。フォークリフトは羽箒でパタパタ叩いて終わりにした。それでも3時間かかった。

家から持って来たガハク愛用の掃除機だ。最後に雑巾できれいに拭いてバケツに水と汲もうと蛇口をひねったら今夜は水の出が悪い。雨が降っているのにチョロチョロ。

すぐに懐中電灯を手に水場に向かった。暗い山の中で傘をさして沢登り。小さくて可愛い沢だから危ないことはない。やっぱり水取り口のパイプを包んでいる網の周りにいっぱい杉の小枝や砂利が溜まっていた。手で払いのけて泥を搔き出したら、すぐにズズズーッと水を吸い込む音がした。タンクを覗いたらドドドッと濁った水が流れ込んでいる。これでよし。水が完全に止まってしまう前に点検しておけば大丈夫なのだ。

オリオンの子供の頬を少し引き締めた。あと20年ここでやろうという決意を新たにした。(K)

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技術は器

棚を整理したら、以前描いたデッサンやスケッチが出てきた。この犬は前に飼っていた犬だろうか?すっかり忘れてしまっている。ガハク一目見て「これはトワンだよ」ときっぱり。絵描きがそういうのだからそうだろう。

子犬の頃から1年間はトワンを毎日車に乗せてアトリエに連れて行った。一人では寂しかったからだ。あの頃はまだ孤独な時間にもその空間にも耐えられなかったんだな。

今はもう何も見ないでも考え付くことを思い浮かぶままに石に直接に彫りつけることが出来る。それは自然とそうなったのだと思っていたけれど、犬を撫でたりしながら観察して来た経験と、それを絵に描いたりしながら頭や心に刻み付けて来た結果なのだと分かる。私が用意したのは技術と意欲、降りて来るものを受け止めるために。(K)

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中秋の名月の二日後に

中秋の名月の二日後に見た月は美しかった。ピンク色の輪をつけてまわりを照らしていた。自転車のスピードを落としてゆっくり走りながら眺めた。

次の日にふと思い出して、カレンダーの裏側にクレパスでメモのように描いて壁に貼っておいた。

その三日後、体がだるくて昼寝をした。夕方やっと起きてアトリエに来て突然あの月のことを思い出し堪らず掃除を始めた。月の絵を描くには机の上もなにもかも石の粉で汚かったからだ。きれいになるまで4時間かかった。やっと掃除が終わって画用紙をカルトンに載せ描き始めた。

描き終わって、カレンダーに描いた月と見比べたら、雲を描くのを忘れているのに気付いた。後ろから月に照らされて山に座っている穴のように見える雲。少し明るい縁。中もぼんやり明るい。生き物のようにも見える。月の方は目玉焼きのようになってしまった。(K)

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抽象の必然

何も見ないで彫っている。もうトワンのことはすっかり頭の中に入っていると思っているからなのだけれど、今夜は耳の付き方が違っていることに気が付いて急いで彫り直した。今までどうやっても分厚くしか彫れなかった耳が、今夜は薄く表現出来た。レリーフは陰影の妙。

ぴったり張り付いたビロードのような頬。首にかけてのふさふさの毛。もう石の量が足りないので薄い陰影で追い込んで行った。毛並みの境、形と形の境界に現れるシンプルなラインが好きだ。うまく彫れたときは夢を見ているような気持になる。

今朝ガハクが同じようなことを話していた。彼にも純粋に色の配列を追求していた時期があったのだけれど、今描いている森の絵にそれが出て来たと。今の方がずっと自由で描いていて面白いと言っている。(K)

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浮かぶ神殿

オリオンの神殿を囲んでいる庭は海につながっていたのだが、今夜とうとう空に浮かんだ。そこはどこも歩ける自由空間だ。

彫りながら考えていた。子供の情動とその対象とについてだ。彼らの目的は純粋だけどやることが出鱈目で不器用だからしくじってばかりだ。でも彼らの陽気さに救われる。

途中で疲れて仮眠したので帰りがすっかり遅くなってしまった。片付けをしながら家に電話をした。「はい」と静かな声が返って来た。もう12時近かったから心配していたのだろう。一声の中にたくさんの情愛が込められている。美しく立派な声だった。(K)

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夕暮れの草刈り

アトリエのまわりの草刈りをした。だいぶ涼しくなったとは言え、やっぱり汗だくになった。Tシャツを着替え、紅茶のマグカップを片手に、今刈り取ったばかりの野原を眺めていた。
今年はカボチャの威勢がいい。夕暮れの風に乗ってトンボが数匹。山の上の方はけぶって見えたのは霧雨が降っていたからだろう。

30年経ってもまだピカピカ光っているこれらの石が表すものは謂ば霊。情念の形をよく正直に作ったものだ。あの頃の過酷な労働の量を思い出すけれども意識の集中は今の方がずっと厳しい。彫りながら眠るということはまず無い。眠っているような仕事はもうできない。(K)

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間柱

雨漏りの原因はスレート屋根のヒビだった。コーキング剤を盛り付けて修復。早速今夜のどしゃ降りで試されたが、一滴も落ちて来なくて完璧だ。

夏の間外してあった間柱を嵌めた。屋根に上って作業する時、屋根が撓んでまたヒビが入るかもしれないから、支えが多い方がいいだろう。(間柱は雪のシーズン用)

この部屋は30年前にガハクと作った。奥に見える部屋は15年前だから、それまでの経験を生かして梁を太くしたから間柱は要らない。

ここであと何年仕事ができるだろう?屋根の上から夕暮れの山を見渡した。生きている限りここで石を彫ろうと思った。そう考えたら「生きている」ということには境界線がないことが解った。いつまでとかここまでとかここからとか。美の希求、善への意志あるところに生がある。(K)

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石頭(せっとう)

石を彫る為のハンマーのことを石頭(せっとう)と呼ぶ。2.5kg〜400gまで大中小と重さの違うものを7本持っている。今夜は真ん中の600グラムを使ってひたすらトワンの顔を彫り直していた。

今日は右端の2.5kgの一番重いハンマーで畑の杭打ちもした。最初は片手で振るっていたが、後半は両手で支えないと手首がぶるぶる震えた。こんなに重いセットウで連続打ちしながら石を彫る人を見たことはないけれど、昔はきっといただろう。エアーチズルもダイヤモンドカッターもなかったのだから。

これには私の名の一文字が刻んである。藝大で石彫を指導していた細井先生が目の前で刻んで下さったのだ。
「おまえにこれをやろう」鞴に火を起こして形を鍛え直し、まだ熱さの残る鉄に楔で『恭』と刻印された時はわ〜っと思わず声が出た。嬉しかった。覗き込んでいた他の学生たちからも歓声が上がった。鉄をもう一度赤く焼いて水の中にジューッと沈める。焼き入れの瞬間。

力を一点に集中させることができれば無駄に疲労しないで済む。よく使うハンマーは光っていて錆びる暇がない。常にタガネの頭が当たる中央は凹んでもいる。(K)

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知性と情愛

今、この『シバの女王』が油絵教室のモチーフになっているので、描きながら皆さんいろんなことをおっしゃる。左側から見た方がセクシーで、右側からだとクールな感じなのだそうだ。

彫刻が見つめ返して来る眼差しがカチッとするまで瞳を何度も彫り直したのを思い出している。どの彫刻でも、右目(向かって左側の目)の方が強く刻み込めて、後からそれを追うようにしてバランス見ながら左目を彫ることが多いようだ。ストレートにできたものと理路から入ったものの痕跡が左右差として残っているのだろう。

右と左、情感と知性、どっちが先行するのだろう?

最古代の人たちは直覚があってメタファーをそのまま受け止めたそうだ。鳥を見ればハッとし、花に出会うと踊り出し、月を見上げて満たされるという風に。無垢が破壊されてしまった今は違う。知性からアプローチして辿り着くしかない遠い旅路だ。

シバの女王も旅をした。彼女が胸に抱えているのは香油を入れた花の器だ。(K)

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