版画

ヘビとエヴァ

修正を加える予定のプレートが作業机の隅に重ねてある。時々それらを一枚ずつ眺めてどこをどう直そうかと考える。これからどう遊ぼうかという感じで楽しい。昨日まで手がけていたリンゴの木のプレートが一段落したのでその重なりの中から一枚引っ張り出した。
「ヘビとエヴァ」この絵の始めの題がアンジェリカだった頃に比べるとずいぶん変わった。エンジェルがエヴァになりヘビが登場。今見るとエヴァにしてはこの顔では不十だ。帽子の縁に沿って小さなベルを付け加えエヴァの左手(プレート上では右手に見える)を変えようと思う。他にも直す所はたくさんありそうだ。(画)
Dscf8825

| | コメント (0) | トラックバック (0)

女郎買いよりも

エングレービングで始めた銅版。ビュランの後ニードルで加筆し、修正の為に削ってはニードルで彫る、を繰り返していたら今ではすっかりドライポイントの作品になってしまった。
冷たいビュランの線の近代性もいいがドライポイントの微妙な世界の奥行きに気づいてみれば、その艶っぽいとも言える線の魅力に今ようやく気づいた所だ。嘗て村山槐多が「女郎買いなんかより気持ちがいい」とパレット上のカドミウムレッドの絵具に向けて言ったその言葉、それをそのままにニードルの線に見る思いがする。(画)
Dscf8804

| | コメント (0) | トラックバック (0)

眠りの天使

ストーブで仕事部屋を暖めていると空気が悪くなるせいかウトウトする事が多い。版画机を前にして版面にニードルを立てたままとかスクレーパーで削っている途中でふっと眠りに入る。すると夢を見る。小さな夢。直前まであった想念の続きだったりもするが、時に夢の中で版画のイメージが先に進んでいる事がある。覚醒して版面を見ると実際に少し進んでいるように思えることもある。時間差で起こる記憶の入れ間違いだろう。いやもしかしたら眠っている間になかなか上手くいかないへぼ絵描きを可哀想に思った小さな天使が手伝ってくれているのかもしれない。(画)
Dscf8798

| | コメント (0) | トラックバック (0)

イメージに生きる

銅版に向かっていると作業自体が単純なこともあり過去の出来事を色々と思い出す。しかしそれを文章に書こうとは思わない。最近文章を書くのがひどく難しく感じる。文字自体を書くのも面倒だ。昔から自分の字体が好きでない。昔のノートをたまに見るとたくさん文章を書いている。その中に当時はこんなことを考えていたのかと驚くようなものはほとんどない。どれもこれも今の自分の中にあるものばかりで進歩がない。これなら今後も書く必要はないだろう。
しかし人間言葉で思考するのだろうからこれは非常にマズイことなのかもしれないが、まあ絵を描いていればいいだろう。イメージに生きる人間だと思うことにした。(画)
Dscf8784

| | コメント (0) | トラックバック (0)

初心忘るべからず

こうして見ると相変わらずあまり進んでいるように見えないな。時間をかければいいわけではないがかけないと進まない仕事もある。ニードルで彫った溝は浅いから削るのに一番手間がかからないはずだ。壁にかかっている以前のエングレービングの版画にはよく見ると銅版表面の凹凸がうっすらと刷り込まれている。エングレの溝は相当深いからずいぶん修正の為に削ってあるのが分かり当時の集中力に自分ながら驚く。
初心忘るべからず…体力の衰えかもしれないなどとも思う。しかしそれならそれでやり方もあるはず。(画)
Dscf8761_2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

動くように仕上げる

鳥を削り落とし樹全体の形を作り直すことにした。
途中の過程というのは常に美しい。だからこそ先へと向かう意欲も湧いてくる。そして作品が満足できるまでの完璧な状態になるように作業しているのは間違い無いのだが「完成」した時にその途中にあった生き生きしたもの、動いているもの、それら「何か」を失うことが多い。それが「完成」のもっとも悪い側面だ。なぜだか分からないが当然のような気もする。(画)
Dscf8749_2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

感覚の実現

引き続き「きらきら」した感じを試しているのだがなかなかうまくいかない。感情の問題ではあるものの絵で描き表すには絵という技術の問題に還元されねばならない。その方法を探し当てられるまで色々と手と目で試している。今日も削ってばかりいた。削るなかで考えつくこともある。(画)
Dscf8742

| | コメント (0) | トラックバック (0)

きらきら

きらきらした風の中にあるものたちの事を考えながらニードルを使っていた。
インクと紙の相性、拭き取り具合とプレス圧、刷りの感じもだいぶ摑めた。もうここで終わってもいいのだが。(画)
Dscf8736

| | コメント (0) | トラックバック (0)

きらきらした風

トワンと散歩をしていると木の梢や葉が太陽に照らされてキラキラと光る。川を流れる水の泡立ち、川岸や土手や路傍に生えている草がキラキラと光る。そこでは人や動物や道行く車もきらめく光としてある。
でもただそこにあるだけなら光るだけでキラキラしない。風だ。風がなければ風景は動かない。風景全体がキラキラ光って見えはしない。(画)
Dscf8705

| | コメント (0) | トラックバック (0)

イヴィッチという人

主題として始めたその人の最初のイメージを今はそんなに意識していない。というよりも絵の中で変化するイメージというものは作者自身の意識さえも離れていくべきだと思う。それを受け入れた後改めて見返してみればこれがイヴィッチなのかもしれないとも思えて来る。
確かに絵は絵自体の論理を持っているのだ。一本の線は海と空の境界を表しもするし、人と花の違いを曖昧にする事もある。
ニードルの鋭い先端と銅の軟らかな表面が反応して作り出す線の不思議さと面白さをもっと知りたいものだ。(画)
Dscf8697

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧