版画

コントロール

ドライポイントの線はとても面白い。銅版画の技法の中でいちばん身近で気楽に入り込めるのにいちばん変化に富む。しかしその変化をコントロールするのは実に難しい。狙った調子が出たと思ったらその一方でさっきあった効果が消えてしまったりする。彫り込んだ溝の両側にできるバーのいたずらなのだ。
むしろコントロールなんかしようとしないで現れた偶然の効果を自分のイメージにどう取り込めるかが楽しいのだ。(画)Dscf8423

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直線と曲線

だいぶ前の事だけれど、ブログに掲載した画像に「直線が珍しく出ていますねw」というコメントを貰った。それで始めて気づいたのだが、周辺の緑ばかりを写真にしていて直線で構成された人工物をほとんど出していなかった。
今描いている絵にも直線状のものが出てくるのは稀で言うならば曲線ばかりだ。これは僕らの生活が物理的に自然に囲まれているからというよりも意識がその中にあるからだろう。

銅版画、刷るたびに落胆していた以前に比べ今は刷るたびに嬉しくなる。相当の進歩だ。(画)
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文化、美、エロス

贅沢なフランス料理を学生に食べさせて映画作りの知識を教えようとした映画監督がいたそうだ。
僕も若い頃に本物の絵を描くには芸者遊びも知らなくてはと信じてた時期があった。うちの奥さんだってそうらしい。彫刻教師に女体のエロスを知るならいつも見てるモデルなんかんじゃなくストリップを観て来いと言われて日劇ミュージックホールに出かけたそうだ。
僕の場合はただ頭で考えてただけだが彼女は実際に行動に移した所が違う。結果は「?」だったらしいけども。
だいたいくだらない考え方なんだよ。溝口あたりの芸者映画観た方がずっと為になるんじゃなかろうか?一回くらいフランス料理のフルコース食べてそれでヨーロッパ文化の深みを知る?ストリップにエロスは分かるけどそれと彫刻との関係は?
その人個人の美意識や文化論を創作全体の真理のごとくに語るのはやめて欲しいな。(画)
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修正の仕方

デッサンなどで最初に教わったのは、間違った線を直そうとすっかり消すと、又同じ間違いを繰り返してしまうから間違った線をそのままにしてそうではない正しい線を引くようにしなさいと。確かにその通り、今でも教える時はそのように僕も言う。さらにこの方法のいい所は間違いを恐れなくなり自由感を持てる事だ。しかしそれにも慣れてしまうと、謂わば問題解決の先送りになり自由度は裏腹な怠惰に流れてしまう。
常に生き生きとした表情を生み出しうるような溌剌とした自由な心の状態を保つのは難しい。
銅版画でも先ずは間違った線をしっかり消す。しかし最初のスタート地点に戻れるわけではないんだが。(画)
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イヴィッチという女

イヴィッチは複雑な性格の人に思える。非常に知的で論理的でありながら小児的な欲望を抱きつつ自らの存在を焼き焦がすほどに情熱的でもある。人間の自由と自立を望む新しい型の女性なのだが、愛というものが大きな人生の飛躍をもたらすものとして意識されている。それなのに愛が欲情としてしか彼女には見えないのだ。一言で言えばひどくめんどくさい女だ。
この版画はこの辺が限界点のようだ。(画)
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老化防止

夜二階で仕事をしていると階下から「わっ!」とか「あーっ…」という声が聞こえて来る。僕らが最近ハマってるWot blitzsというネット対戦ゲームをしているのだ。疑似空間での体感でしかないのに冷や汗をかくし痛みさえ感じる。動体視力とか反射神経なんかも鍛えられそうだ。
老いというものが身辺にまとわりつき始めているのを感じると、芸術家に老化なんてないんだよとうそぶいてばかりもいられない。いや正しく老化するならそれもいい、でも正しい老いって何だろう?(画)
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版画室

銅版用のインクは温めて軟らかくし、彫り溝に入り込み易くする。銅版を置く金属プレートの下に電熱器を入れ、その上に版を置き温める。誰かにもらった焼肉用の電熱器と、昔ぞうけい教室で使っていたキャスター付きの金属製のキャビネットを利用してインク詰め用の台を作った。台を壁に固定したので揺れもなく使用感良好だ。スポットライトをつけたので版面も見易い。
手前は反射板をつけた仕事机。ルーペもある。
他にも専用のプレス機やら紙を湿すことやら…特有の細かいセッティングの必要を、煩わしさと感じるよりもこの仕事の面白いところだと思う人でないと銅版はやれないね。(画)
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眼差し

ずっと以前のことだ。強い視線に出会った。東欧出身の留学生だったが互いに紹介されて「あなたもペインターだそうですね」と僕の目を真っすぐに見たのだった。射るように真っすぐ、一瞬の瞬きもなしに相まるで相手の頭の芯まで見透そうとしているような目だった。しかし悪びれることなく相手に対するリスペクトがそこにはあった。握手の仕方にもそれは感じられた。正直言うと未だ自分が画家であるという自信さえない頃の僕には恥ずかしいくらいだったが。でもこっちは一瞬で思った「これは本当の美術家の目だな」と。
それ以前も以後もあんな目に出会ったことがない。
今日はその眼差しを思い出して銅版を彫っていた。(画)
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星空

現時点での完成。口元が微笑んでいるようになったのがいい。
銅版画は始めは何もかもが手探りで、できたものもいいのか悪いのか、机の上でいつ終わるとも言えないようなカリカリを続け、刷ってみればこれが様々に変化する。全く基準のない世界の様に思えた。
考えてみれば、絵だってどこにも基準なんてないのだ。なぜ銅版画だけをそんなに特別視していたのだろう?違和感から脱して今ではこんなに自分に合ってる仕事もないと思えるほど好きになっている。自己のニュアンスに没頭するのにこれほど向いた世界もない。かかる時間と労力に対しての結果はそれに価するかどうか怪しいものだが。
絵画史の中で銅版画は天才が煌めく星空に見える。(画)
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きらめく魂

晩年のゴヤを彫ろうとして始めたのに途中からレンブラントだと思った理由は忘れてしまったが、老境に入った画家であれば誰でもよかったのかもしれない。なんとなく宗教改革時代のヨーロッパに生きた画家というイメージだ。洗練と野蛮、聖と俗、真理と虚偽の入り混じった暗黒の時代を純粋で高貴な魂はどう生き抜いたのだろうか。
ちょっと平板だ。もっと煌めくようなものが出ればなあ。(画)
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