版画

下手もゲーマーのうち

FPSゲームというのをやってるとちょくちょく「下手くそ」というような意味の事を言われる。口惜しいけど心当たりがない訳でもないのでちょと凹む。下手くそと言えば絵の技術が仲間と比べて上等と思ったことはない。むしろ上手い奴はたくさんいた。そういう自覚を持ちながらそれでも絵を描き続けるには表現と技術の関係を考え直してみる必要があったと思う。絵においては結論は出ている。
下手くそと言われてしまうゲームの中でも同じことだ。下手くそなりのやり方がきっとあると思う。この歳でネトゲーという面白いものを見つけた。
この版画、少しバラバラな感あり。でも今までなかった感覚を感じる。(画)
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彫るより削る

絵の修正の為に削るという作業は油絵でもする事はあるが、ここまで表面をきれいに削りはしない。そうまでしなくとも充分修正できるしその途中の状態に面白い効果を見出したりもするからだ。しかし銅版となると大抵「面白い」効果よりも不明瞭さの方が強く出てしまう。だから徹底して綺麗にするのが吉なのだ。それに未だ慣れないでいる。刷りの為にインクをつけた版面を寒冷紗で拭き始めると、右手がだるいと文句を言う。ニードルを使うにも握力がいるが、これは連日の削り作業のせいだ。彫っているより削っている方が多い気がする。(画)
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刃物の研ぎ

銅版画の修正に使うスクレーパーを3本持ってる。2本は買ったもの、1本は手持ちの金属ヤスリのヤスリ目をならして研いで自作したものだ。いずれも横から見ると涙滴型でその先端を尖らせた形、断面は正三角形でその三つの綾線を版面にわずかに傾斜した角度で押し当てこするように削る。綾が鋭くないと仕事が捗らないし削り面が平らにならない。だから常に研ぐ。
直刻用の道具を使うには研ぎ方を知らないといけない。ビュラン、ニードル、スクレーパー…中には上手く研げないのでこの技法を諦めたという話も聞く。
最初はビュランで苦労した。ニードルの研ぎ方はどんな線を出したいかで変わるんだと最近気づいた。今はスクレーパーに苦労している。けれども僕にとってはどれも仕事の同僚、友達だ。(画)
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テニスなんかに興じて

宮沢賢治が学校の休み時間にテニスなんかやってる教師にいい指導者がいるはずがないというようなことを書いているのに対して吉本隆明がそんなの関係ないと批判していた。
酒も飲まず女遊びもしないでいい芸術ができるだろうかと本気で考えていた時期が僕にもあった。本当に美味いものや高価なものや本物をしらないで深い芸術が語れるだろうか…でもそんなの関係ねえよと。
この前ゴーギャンが画家になる為に俸給生活と妻子を捨てて家を出たという話を結婚したばかりの若い人とした。「とんでもない人ですね、でもそういう人だからあゝいう絵を描くんでしょうか」
そんなの関係ねえよ…かなあ?
今度は男の子を削っている。(画)
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芸術か猥褻か

この議論が成り立つ前提には猥褻は芸術ではないというのがあるんだね。
画家というものはとにかく絵を描けさえすればいいという人種なので、その為にはどんな主題でも構わないという訳で世間的に時々まずいことをする。中には世間の顰蹙を買って喜ぶ性質の人たちもいるしな。
ギリシャ彫刻にだって猥褻なのはあるし、現代でも芸術だけでなく美しく見えるスポーツにだって猥褻なのがたくさんある。不思議なのは美術館、舞台、競技場などで一度に大勢で集まって見て喜んでいる。あれが僕には分からない。僕なら猥褻なものは一人だけでじっくり楽しんで見る。
さて猥褻とは何の関係もないこの銅版画、少しずつ進んでいる。(画)
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絵は男性的?女性的?

「絵は男性的なものなんだ。計画を立て意志的に行動する。起きることに受け身な画家はだからダメなんだ」これはボナールを好きだと言うジローに言った言葉だ。(その伝でいけばガハクもやっぱりダメだけどw)
ところで美術での性差について言えば、僕の経験ではこれは逆で、幼児の頃から圧倒的に女性の方が色感はいいし装飾性にも敏感だし美しいものに対する興味は男性よりずっと大きい。現在は美術大学でも女性の方が多いとも聞いた。女性の方が絵描きに向いているかもしれない。
でも当時からそんな風潮は既にあってそれへの反発が既に彼にあったのかもしれないな。

女の子の部分はかなり良くなった。次はその横の母と幼児に向かう。(画)
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包んでいる

削る作業をしていると銅版画家のブレダンとかマリオン彫刻家ジャコメッティがどうしても頭に浮かんで来る。自己の作品を常に修正し作り直し遂には壊しさえしてしまった人々。ある人は彼らの狂気を語り、別の人は天才の飽くなき追求心を賞賛する。観察する人はその人自身の像をそこに重ねるに違いない。どうともご自由に。
女の子少しよくなったでしょ。(画)
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花束を持つ子供

「Mの家族」の人々の顔を彫り直している。先ずは女の子からと決めた。彼女の持つ花束が彼女自信を象徴するように美しくならねばならない。前途多難?
全体がエングレービングの深い溝になっているので削るにはとても時間がかかり疲れる。しかしスクレーパーを使いながら見えてくるものもある。何が出てくるか期待しながらの作業はだから楽しくもある。充分に削れたところにはニードルで線を入れた。
ビュランのくっきりした彫り溝も美しいがニードルの膨らみのある曖昧さが今は好きになっている。(画)
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「男の像」

銅版を始めた最初の頃の仕事で、今見るとエングレービングとしても未熟だしイメージも不明瞭、でも未知の技法への取り組みの真剣さと集中感の強さがある、だからこそもう少し何とかなるはずだ。いつもそう思いながら額装して壁にかけてあるこの版画を見ていた。
年が改まったのをきっかけに、よし手を加えてやろうとアトリエの本棚に置いてあるその原版を取り出してみて驚いた。銅板の薄さ、これではまるでブリキ板だ。
現在使っている銅板の厚みは1㎜。版としての扱いを考えるとそれ位がちょうどいい。0.8㎜も使ったがそれだとやや心もとない。手にしたその銅版はそれよりも薄い。そして彫り溝が深く修正の為に削りもしているので板がしなってベコベコだ。見ていたら手を加えるのが忍びない気がしてきた。
迷った末に手をつけるのを諦めた。(画)
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銅版画で終わった

小さな版をポストカードにしてみた。今年後半は銅版画ばかりやっていた。ウィリアムブレイクのエングレービングに憧れて始めた銅版だったが今はドライポイントの面白さにはまっている。どちらも直刻技法なのだが随分違う絵を作り出す。最高の難易度を要求するエングレービングと表現の奥行きの深さの逆に自由で気ままな技法のドライポイントを知ったことで、銅版なら死ぬまでずっとやり続けられそうだとも思えたのだった。(画)
Dscf9160

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