ガハクの版画室

情報ブログ風に

銅版画のインクは温めた方が伸びがいいのでウォーマーの上に版を置き乗せたインクごと温める。
版を置く鉄板の下に焼肉用の電熱器を差し込んだ。温度調整ができるし火傷などの危険もない。もっとも触れないほど熱くする必要はない。スイッチを外へ出して(一番手前の下に見える)手袋でも動かしやすいようにクリップを取り付けた。
溝にインクを詰めてそれ以外の部分を拭き取るというのが銅版画の刷りの仕方でインクを詰めるのに僕はローラー(中央)を使い、版面のインクをゴムヘラ(その手前)で大まかにこそぎ取る。
さらに寒冷紗(右下の黒くなった布)で版面を磨くようにインクを拭き取る。
最後に最も白くしたいところを掌や指の腹などでサッと払うように拭き取る。
この掌などで拭き取る作業はやや技術を必要とする。専門家になると相当繊細なニュアンスを刷りに残せるようだ。僕はまだ練習中である。(画)
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画家としての資格

リルケの言葉。「夜一人ベッドの上で胸に手を当てて自問してみよ。わたしは絵を描かなければ死んでしまうだろうか?」
この答えが肯定的だったら画家の生活を始める資格があるという話なのだが、冷静に自分を観察し深く考えれば考えるほど誰もが半ば否定的に答えるだろう。よっぽど野心や自惚れが強くない限り力強くイエスなどと言えるはずがない。もっと嫌なのはこの言葉のどこかに階級的な臭いを感じる事だ。
絵を描くのは楽しいし思った以上に素敵なものが出来上がったら嬉しくて仕方ない。時には自分の画家としての適正、才能をちらっと思ったりしてほくそ笑んだり。
いやむしろ絵を描く喜びのフィールドは個人の能力とか使命感とか美学の歴史なんかよりずっと大きいのだ。(画)

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新しく始めた木版画。「羊と太陽」3作目。

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今朝のアトリエ(2014/7/6)

自画像がこんなに難しいと感じた事は今までなかった。
自意識との闘いというのはどんな絵の場合でも同じはずだが特に自分を主題にするとあからさまに表面に出て来て非常に鬱陶しい。
描きたいのものと描かれずに終わるものとの相克があるのを改めて感じるからだろうか。
テキトーに描いておしまいにすればいいのにと描きながら思っているのにいつまでも筆が止まらない。

版画のモチーフも溜まって来た。そろそろ始めよう。
いよいよ銅版用のインクを手作りしないといけないな。

アコースティックギターを安く手に入れたら急にギター熱が上がって来た。一室をギター練習室にして壁に絵を飾ってみたり譜面台を改良してみたりして盛り上がってる。
奥田さん作曲のギター曲「すなどる人」を練習中。
さっぱり進まないが楽しい。(画)

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ギターと絵のコラボ「すなどる人」

「すなどる人」というテーマで作られて行くギター曲に背中を押される思いで描いた新作の内油絵を2点と銅版画2点を9月29日デナリコーヒーギャラリーに展示。
以下はその紹介。

「すなどる人1」油絵
CDジャケットのデザインにも使った。全体の雰囲気が古代的?自分でも巧く描けたと思う一枚。気に入ってる。
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もう1枚の油絵「すなどる人2」
モニュメンタルな感じになってないだろうか。
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「すなどる人」銅版画
ドライポイント技法の持ってる色味の豊かさと調子の膨らみに惹かれて始めたがその偶然性をコントロールできなくて非常に苦労した。この技法はもっと単純な主題に使ってこそ効果が出るだろうか。
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「風の天使」
銅版画でこれだけはすなどる人との直接的な関係はない。いつものようにビュラン彫りが中心。髪の毛とか顔の陰影にドライポイントを使った。
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また版画はじめた

「すなどる人」のコンサートまでに「すなどる人」の銅版画を作ろうと思った。
しかしいざ銅板に向かうとどうやって絵を作ろうか思いあぐねてしまった。
暫く考えた末に「すなどる人」は木版画でやる事にした。
黒く墨を塗った板に白い鉛筆で下描きしてみたものの刃を入れる気にならない。
やっぱり銅版をしたいらしい。
今度は油絵の「月夜の方舟」を銅版画にしようと思いついた。
大きな画布の縦横の比率どおりに銅板を小さく切り
四隅をヤスリで落としてから版面を木炭で磨いた。
そして磨けたプレート面を見ていたら
どういうわけか急に天使の顔を彫りたくなった。
ってわけで今「風の天使」という題で銅版画するガハクである。
足元にデューラーのエラスムスよろしく動物が横たわってるではないか。
(画)

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『イーハトーブ・プロジェクトin京都』

今年で5回目となる『イーハトーブ・プロジェクトin京都』
その予告のチラシに画像として企画者の浜垣氏に木版画を使って頂いた。宮澤賢治の「よだかの星」にちなんで鳥の版画という事である。
ずいぶん綺麗にレイアウトしてあって作者としても大変満足。
朗読家の林洋子さんはずいぶんキャリアの長い方でその筋では名の通った実力者のようだからきっと充実したいい朗読会になる事だろう。

お近くの方はぜひお出かけください。(画)

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版画インク

版画をそろそろまた始めようかと思って道具をチェックしたら案の定缶入りのインクの表面が固まってた。これいつも頭を悩ます所。常に制作し続けていればこの問題は起きないのだが少し間をおいてしまうとインクの保存がむずかしくなってしまう。
一つのアイデアとしてはオイルを表面に浮かせておくというのがあるのだがそれだと使い始めにオイル抜きをしなければならない。
そして気まぐれに制作を始めるからいつインクを使い始めるかという予測をつけられない。いつでも使えるようにと思えばオイルを満たしたくはない。
でけっきょく缶の中でインクが固まってしまうのを後で後悔する破目になるわけ。
チューブ入りがいいのだがこの手のインクは缶入りのみ。
もう残りも少なくなったので今日は表面の固まりをざっと捨てて残りのインクを全部ラッピングしてしまった。
次はインクを手練りで自製しようかと思っている。(画)

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ドライポイント2

ドライポイントはエングレービングと同じ直かに版を彫る技法だが銅板にできる溝(線)の様子は全然違う。
ビュランで彫られた線の断面はV字状で側面の壁はよく見るとキラキラと光っているほどスムーズだ。それに比べてニードルでひっかいた線はぐちゃぐちゃっとした感じ、ちょうどブルドーザーで地面を引っ掻いたような状態と言えばいいか。それもニードルの角度とか力の入れ具合でも変わる。そんな色々な形の溝に引っかかるインクの量と状態はまさに千差万別。それをコントロールするのは至難の業とも言えそうだ。

しかしそこがまたこの技法の実に微妙で最高に面白い所だと。(画)

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ドライポイント

今日はつい先日ツイッターで知り合ったギタリストご一家の突然の訪問を受けて大興奮の一日だった。目の前で僕のギターが鳴り出した音に聞き惚れた。プロの演奏というのはやっぱり違う。全てが初めて聴く音ばかりのように思えた。
お帰りになってからも暫くギターを弾いた。心なしか前よりいい音が出ているように思えた。もっと練習しよう。
さてそれから版画室に上がって版画をした。
ほぼドライポイントだけで作品を作った事がない。やってみると思わぬ刷りの効果に嬉しくなるが未だ偶然の結果に過ぎない。狙った表現を求め始めるときっとジレンマに陥るに違いないという気がしないでもない。

ただドライポイントとエングレービングとの距離はエッチングに比べればそんなに大きくないんじゃないかとは思う。そこに賭けよう。
本物のギターの音を聴いたことが版画に影響しただろうか。(画)

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『誕生の森(仮題)』

銅版画の新作。

版画の部屋に過去の油絵が何枚も壁に立て掛けてある中から偶然とりだした一枚をずっと見ていたら構図が気に入って銅版でやってみようと思いたった。ちょうどいい大きさのプレートもあったから今回はドライポイントでどこまでできるかやってみようと思う。
原画となってる油絵の方は描こうとしてるイメージと絵との間の繋がりが巧くいかず途中で放棄したんだろう。でも今見るとどこかやわらかな味があって面白い。それもこの銅版画が巧くいけばついでに乗り越えられるかもしれない。(画)

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