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2018年5月

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煩悩の苦しみ

「近頃は念仏を唱えても以前のような喜びが湧かないのはどうしたわけでしょう」と問うた弟子に親鸞は「それは修行の成果でいよいよ極楽浄土が近づき煩悩が最期のあがきをしている証拠だ、ますます修行せねば」てなことを言ったそうだ。
逆転の発想みたいで面白いが、僕も最近は以前ほど描く喜びを感じないで描いている。いよいよ佳境に入って来たかと思えばこれもまた面白い。(画)
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2本の木立

毎朝鬱蒼として来たリンゴの木を見上げているからだろう、回廊の柱が庭のリンゴに思えて来た。枝先の梢の膨らみを彫ったり削ったりしているうちに山に溶け込んでしまって、ふんわりとした神殿の屋根になった。そうか、元々教会や神殿の柱も天井も森の木立やそこから見上げる天体を抽象し文様化して作られているじゃないか。元の形になんとか辿り着くまでコツコツと作業を続けている。こういうことは楽しいしぜんぜん苦ではない。(K)
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抽象美と恋愛

版画に彫り込むためのかな文字の練習。と言っても家にあった参考書、平安時代のかな文字練習帳を見ながらのいたずら書きでしかないが。
同書による所のかな文字の歴史が面白い。男女教育の差別化の為に漢字を女には教えないようにしたという所から始まる。漢字を知らない女同士で手紙を書くのに独自の文字を発明せざるを得なかった女性たち。その女に手紙を書きたい男は女からその文字を教わらねばならないようになったというのが愉快だ。社会の抑圧が新たな文化を生み新しい美意識が生まれた。その発展の原動力に男女の恋愛があったというのが。(画)
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山の稜線

山の稜線をくっきり出すことにした。雲が湧き立つ場所は白い人が現れた谷だった。雲が光りながらすごい勢いで吹き出している。明け方の空は最初はピンクで辺りは金色に照らされる。太陽がすっかり顔を出すと森は白く発光する。

鑿痕を効かせて磨いた石の色とのコントラストを強くすれば新しい領域へ踏み込める。(K)
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青の中の顔

青い色がこの人物には合う。青といえば思い出すのはピカソの青の時代、彼の青は言ってみれば画布の要求から発しているのだが、僕の青はこの人物が要求しているのだ。最近絵具箱から出て来たデルフトブルーという色が気に入ったので、手持ちの顔料で似た色を練ってみた。顔料のラベルにはオリエンタルブルーと書いてある。ひどく発色の派手な色だ。

今までの色の趣味を変えられますように。(画)
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爽やかな風

空を丹念に磨いている。月の縁や雲の間に砥石をかけるのが難しい。砥石はだんだん角が取れて丸くなるから深い溝の底になかなか届かないのだ。砥石の当たり方がムラになるから細かいスジが残ってしまうのをコリコリしつこく擦り落としていく。足元に石と砥石の両方から出る粉が降り積もるばかりで、ときどき刷毛で払い落としては、ゆっくりとしか変わらない石の色を眺めて過ごす。

今日も風がよく吹いていた。爽やかな空気がやさしい月を引き出した。外に出たらレリーフとは逆向きの月が西の空にぼんやり光っていた。雲が広がっているようだ。今夜は星はなし。(K)

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額づくり

自作を額に入れた最初は高校生の時だった。習いたての頃描いた絵の全てが気に入らなかったがその中に一枚だけ人に褒められ勧めらて家に飾った。悪くはなかったが特にいいとも思わなかった。卒業制作の作品を入れる段になったらその値段の大きさに当惑した。画材の費用に額の値段まで捻出しなければならないのかと思うと将来が危ぶまれた。
一方で額に入れた絵をイーゼル絵画と称して軽蔑する新しい風潮も生まれた。貧乏画家にはもってこいの流行だ。だから色々結構な理屈がついていても内実は作り手の経済力の問題だったかもしれぬ。
ゴッホは自分の緑を基調とした絵に赤い色の額を特注して額装しないと最後の筆を入れる事ができないと日記に書いていた。彼ほどお金に困っていた人もいないのに。(画)
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瞳の光

今日は爽やかな風がずっと吹いていて気持ちが良かった。霊的な風というのだろうか、庭仕事をしていてもぜんぜん疲れない。「もう終わりにしようよ」と声がかかって中に入ると、ガハクはまだ雑巾掛けをしていた。

目の中には幾重にも繰り返される輪があって、それをだんだん小さくそっと外側から刻んで行く。今夜やっと瞳の中にキラッと光が入った。(K)

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誰のバースデー?

妻がバースデーケーキを焼いてくれた。66回目の誕生日ということだ。うちの庭で採れた今季初のイチゴをのせた。毎年この日に間に合わないことが多いのだが今年は赤くなってくれた。何でもないように見えるケーキだがお店では買えない美味しさなのは間違いない。
単に季節が繰り返すだけなのにそこから歳月というものが生まれ、年齢が数えられ遂には人の人生が世界共通の時間で区切られるようになった。同じ人は一人もいないのに全人類共通の時間割があてがわれていると信じられているが、この日この時の自分でしかないという事を僕は忘れないようにしたい。
(因みにトワンは見てるだけ(画)
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空を研ぐ

上瞼の影が綺麗に彫れた。瞳の位置も少し修正。月の周りを磨いてみたらなかなか良い色なので、雲の間の空にも砥石を当てた。こうなると星が一列に並んでいるのが如何にも単純で幼稚に見えて来る。明日は回廊の上の空を思い切って抉ってみよう。絵空事ではない生きている空が広がるように。(K)
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夜のアトリエ

暑いから開け放しておいている窓から線路の補修作業の音がしてきた。重そうな金属の触れ合う音、車のエンジン音、作業員の掛け声、モーターの連続音、時々鳴る踏切の警報、いつもは非常に静かな夜の森が随分賑やかだ。
人によってはひどく耳障りなものだろうな。僕はあまり気にならない。むしろ深夜の孤独な時間が慰められるような気さえする。たまにしかない事だし。
生い立ちってやつもあるかな。街の中心部で生まれ育ったせいか騒音に慣れてしまっているのかもしれない。慣れと言えば絵を習い始めた頃、使う色が派手過ぎて弱った。街場の派手なネオンサインに毒されていたのかもしれないと思っていた。いい中間色が使えないのはそのせいかと。
しかしもう一度思い出せないかなあの頃の感覚。今ならどう使えるか。(画)
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夜明け前の星

部分的にあちこち磨いては彫り直している。途中で発見する美しいものを拾い上げながら進んで行くのが最近のやり方だ。空の縁取りのようにたくさん並べてあった星は、雲に変わった。小さく消えそうになっていた星が、今夜7つ復活。夜明け前の星だ。(K)

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イヴィッチ・・

イヴィッチは絵の展覧会に行こうと誘う友人に「自分のものにならない絵なんか観に行ってもつまらない」というような、ちょっとビックリするような事を言ったりして人の心理を鋭くえぐるかと思えば、別の部分では感情的にひどく幼かったりもする。例えば性的なものに過剰な期待を抱いていたり。
最終章に出てくる彼女は前半に比べてやや薄っぺらい印象になっている。何故かと考えていたが、今日思いついた。作者であるサルトルがイヴィッチという人に飽きてしまったのだ。(画)
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天使の周囲20キロ

トワンは今日も皆に撫でられていた。トワンの周囲に広がる柔和なスフィアは半径何キロなのだろう?スエデンボルグによれば、ひとりの天使がいるだけで、その周囲20キロは平安が保たれるという。どうがんばっても自分一人じゃ世界は変えられないと思っている限り何も起こり得ないだろう。天使とは、生まれたばかりの純真な善への意志のことだ。たった独りの中に起こる決然たる意識の変化。そのような意識の姿は、時間のフィルターを通ってやがて外見にも現れる。それは誰もが見つめてしまう美しいものなんだ。(K)
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リンゴの木

去年あれだけ多くの実をつけたリンゴの木。今年はもっと大きくて立派なリンゴをたくさん成らせることだろう。頼もしい。
絵も僕も去年より成長しなければ。(画)
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安息日の内意

彼の掌から風が湧き起こった。小さなつむじ風だ。ヨブが神に「お前は風がどこで生まれるか知っているか」と問われて沈黙する場面がある。今の私なら「あなたの手のひらから」と答えよう。考えることがさらに進んで想うことに集中した時、そこからは甘い香りが立ち昇る。それが風になるんだ。

見えたものを石に刻むには勇気が要るけれども、ゴッホは描く前から描き上がった絵が見えていたらしい。「それが何枚も何枚も見えてごらんよ。いくら命があっても保たないよ」とガハクが言う。私は彫りながらだんだん見えて来る形に従うだけだから大丈夫だ。ゆっくり進むしかないからきっと長生きできるだろう。こういう状態を安息日と呼ぶのかな?(K)

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花の絵

花を描く上で一番難しいのは色や質感よりもその単純にして複雑な空間性だ。ボタニカルアートというのがあるのを知ったのは最近のことだがネットで見る限り大抵の絵はここが掴めていない。気づいていないのではなく知らんぷりしているのかもしれない。
そうだとしても花の魅力はそれだけじゃないからいいんだけども。
うちのアマリリスは今年も咲きそうだとのこと。(画)
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スモモの妖精

毎朝スモモの梢の中に小さな緑の実を探す。ツヤツヤの粒が日に日に大きくなっている。長年居着いていた虫がやっといなくなった。小豆くらいの硬い殻が幹や枝にびっしり付着していた。あれはきっと虫の冬越しだ。コリコリ手で落としてもダメだったから薬を噴霧し続けて2年、この春に堆肥もやったからか、今までに見たことがない茂り方で一枚一枚の葉っぱが大きい。花が実になるまで何年もかかった。(K)

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じっくり見る

庭にあるオオヤマレンゲの花をできるだけ見ないようにしている。それでも気になるから通りすがりなどにチラッと横目で見てしまう。まるで盗み見だ。毎日トワンと散歩に出る度にその繰り返し。
対象をじっくり見て覚えこもうとするのが絵描きの習性だからそれと闘うようにして描くのもなかなか骨が折れるものだ。なぜそんな回りくどい事をするのか。
ジャコメッティの絵をじっと見てはいけない横目でチラッと見ると人の存在がしっかりと見えてくる、と言ったのはサルトルだ。その言葉を思い出す。(画)
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大きな息

ときどき指の先から砥石がぴょんと弾けて地面に転がり落ちる。途中で雨の音が激しくなったが、雨漏りはしなかった。トタンの合わせ目に塗り付けたシリコンシーリングが効いたようだ。

ミケランジェロよりももっとずっと古い時代の人たちと話をしている。磨き難い窪んだ場所に浮き彫りにした人の輪郭はどうやって研ぎ出したのかと。砥石と鑿だけで出来るはずだ。

ストーブから外した煙突に被せてあるビニール袋が、外で風が吹く度にフカフカ音を立てた。大気は大きな肺のようだ。夜の8時、雨が止んだ隙を狙って自転車で帰宅。国道脇に大きな水溜りが出来ていた。(K)

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逡巡と決断

君が向こうに見ている木が青く見えるならパレットの上で一番きれいな青を塗れ、そして実際のものとは少し色が違うなんて言うな、というアドバイスにゴッホが感心したよと書いていた。彼らの絵の色を考えるとなるほどと思う。しかし実際にはそうしようと思ってもなかなかできない。
僕が以前若い人に向けてしたアドバイスは、絵の上で色をぐちゃぐちゃに混ぜてみろ、すごくいい色が現れてくるから、というものだった。容易いことだと思っていたが今ではこれも口で言うほど簡単ではない。
今思えばどちらもひどく難しい。自分の一般的批判力を黙らせることから始めないと。(画)
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話す人

話をしている人の言葉を聞いているようでいて、実は声の色や形を眺めている。それが真実であればきれいな姿が立ち現れてすいっと心の中に入ってくる。そのような話は後では歌のように何度も蘇っては反芻されて自分のものになるんだ。そうなると最初にその話をした人が誰であるかは気にする必要もない。偉い人が立派なことを言うとみんな黙って聞いているけど寒い風が吹き抜ける。「どこに出ても僕は同じことを言うよ」とガハクは言った。そうか、真実は歪められずにやっと、とうとう生き残った。(K)

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見ていたもの

オオヤマレンゲという花の中に何を見ているのか。
花の形、花の色、葉の形、葉の色、枝ぶり…絵を描き始めるとその何を描こうとしているのか…見ていたものが何なのか…特にうまく描けないと感じた時、その疑問と付き合うことになる。見ていたものと描かれたものとの対決が始まる。絵を描くことの面白さ。(画)
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新しいデジカメ

とうとう新しいデジカメを買った。ぞうけいの子供達の絵をホームページに載せるのにずいぶん活躍した古いデジカメは、昨日でお勤め終了。ロットが読めないくらいすり減っていた。あんなに長持ちしたデジカメも珍しい。

白い大理石を撮るのはむずかしい。やわらかな起伏がうまく出せない。でもピンボケさえしなけりゃいいのだ。なのに手ブレしてしまったようだ。三脚の代わりに折り畳み傘の先をキャップを外して使えばいいよとガハクのアドバイス。これからそうしよう。今度のカメラはボディーが赤い。(K)

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庭の木

庭に大きな米松がある。モミジも大きい奴が数本ある。他にも李とか椿とか月桂樹とかライラックとかピラカンサとか…住む前からあったこれらの木に加えてリンゴやヤマボウシやカマツカなどを新しく植えた。オオヤマレンゲもその一つ。すっかり定着して清楚な香りと独特な形の花を毎年咲かす。この木の前の地面に幼い子供たちが寝転んで遊んでいたそうだ。(画)
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花の中に浮かぶ

スモモとソルダムの二つの木は互いに上手に受粉出来たようで、どっちの木にも小さな丸い粒があちこちぶら下がっている。暑くなって来た。そろそろ苺が採れる。初摘みの苺でケーキを作るんだ。最高に美味しいケーキになるだろう。庭の精霊たちが今日もふわふわ遊んでいた。今夜の月は朧月だ。布団を夏仕様に組み替えた。(K)

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懐かしさ

45年ぶりの友と再会しても何故か懐かしさというものを感じなかった。元々この感覚自体が僕にはよく分からないのだった。それにあの時に戻りたいとも思わない。今までの中で今が一番いい。しかし今までよりずっといい作品を作るにはもっと自分自身が成長していかねばならない。(画)
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