ブログ引っ越しました
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青い色がこの人物には合う。青といえば思い出すのはピカソの青の時代、彼の青は言ってみれば画布の要求から発しているのだが、僕の青はこの人物が要求しているのだ。最近絵具箱から出て来たデルフトブルーという色が気に入ったので、手持ちの顔料で似た色を練ってみた。顔料のラベルにはオリエンタルブルーと書いてある。ひどく発色の派手な色だ。
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空を丹念に磨いている。月の縁や雲の間に砥石をかけるのが難しい。砥石はだんだん角が取れて丸くなるから深い溝の底になかなか届かないのだ。砥石の当たり方がムラになるから細かいスジが残ってしまうのをコリコリしつこく擦り落としていく。足元に石と砥石の両方から出る粉が降り積もるばかりで、ときどき刷毛で払い落としては、ゆっくりとしか変わらない石の色を眺めて過ごす。
今日も風がよく吹いていた。爽やかな空気がやさしい月を引き出した。外に出たらレリーフとは逆向きの月が西の空にぼんやり光っていた。雲が広がっているようだ。今夜は星はなし。(K)
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今日は爽やかな風がずっと吹いていて気持ちが良かった。霊的な風というのだろうか、庭仕事をしていてもぜんぜん疲れない。「もう終わりにしようよ」と声がかかって中に入ると、ガハクはまだ雑巾掛けをしていた。
目の中には幾重にも繰り返される輪があって、それをだんだん小さくそっと外側から刻んで行く。今夜やっと瞳の中にキラッと光が入った。(K)
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部分的にあちこち磨いては彫り直している。途中で発見する美しいものを拾い上げながら進んで行くのが最近のやり方だ。空の縁取りのようにたくさん並べてあった星は、雲に変わった。小さく消えそうになっていた星が、今夜7つ復活。夜明け前の星だ。(K)
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彼の掌から風が湧き起こった。小さなつむじ風だ。ヨブが神に「お前は風がどこで生まれるか知っているか」と問われて沈黙する場面がある。今の私なら「あなたの手のひらから」と答えよう。考えることがさらに進んで想うことに集中した時、そこからは甘い香りが立ち昇る。それが風になるんだ。
見えたものを石に刻むには勇気が要るけれども、ゴッホは描く前から描き上がった絵が見えていたらしい。「それが何枚も何枚も見えてごらんよ。いくら命があっても保たないよ」とガハクが言う。私は彫りながらだんだん見えて来る形に従うだけだから大丈夫だ。ゆっくり進むしかないからきっと長生きできるだろう。こういう状態を安息日と呼ぶのかな?(K)
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毎朝スモモの梢の中に小さな緑の実を探す。ツヤツヤの粒が日に日に大きくなっている。長年居着いていた虫がやっといなくなった。小豆くらいの硬い殻が幹や枝にびっしり付着していた。あれはきっと虫の冬越しだ。コリコリ手で落としてもダメだったから薬を噴霧し続けて2年、この春に堆肥もやったからか、今までに見たことがない茂り方で一枚一枚の葉っぱが大きい。花が実になるまで何年もかかった。(K)
庭にあるオオヤマレンゲの花をできるだけ見ないようにしている。それでも気になるから通りすがりなどにチラッと横目で見てしまう。まるで盗み見だ。毎日トワンと散歩に出る度にその繰り返し。
対象をじっくり見て覚えこもうとするのが絵描きの習性だからそれと闘うようにして描くのもなかなか骨が折れるものだ。なぜそんな回りくどい事をするのか。
ジャコメッティの絵をじっと見てはいけない横目でチラッと見ると人の存在がしっかりと見えてくる、と言ったのはサルトルだ。その言葉を思い出す。(画)
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ときどき指の先から砥石がぴょんと弾けて地面に転がり落ちる。途中で雨の音が激しくなったが、雨漏りはしなかった。トタンの合わせ目に塗り付けたシリコンシーリングが効いたようだ。
ミケランジェロよりももっとずっと古い時代の人たちと話をしている。磨き難い窪んだ場所に浮き彫りにした人の輪郭はどうやって研ぎ出したのかと。砥石と鑿だけで出来るはずだ。
ストーブから外した煙突に被せてあるビニール袋が、外で風が吹く度にフカフカ音を立てた。大気は大きな肺のようだ。夜の8時、雨が止んだ隙を狙って自転車で帰宅。国道脇に大きな水溜りが出来ていた。(K)
君が向こうに見ている木が青く見えるならパレットの上で一番きれいな青を塗れ、そして実際のものとは少し色が違うなんて言うな、というアドバイスにゴッホが感心したよと書いていた。彼らの絵の色を考えるとなるほどと思う。しかし実際にはそうしようと思ってもなかなかできない。
僕が以前若い人に向けてしたアドバイスは、絵の上で色をぐちゃぐちゃに混ぜてみろ、すごくいい色が現れてくるから、というものだった。容易いことだと思っていたが今ではこれも口で言うほど簡単ではない。
今思えばどちらもひどく難しい。自分の一般的批判力を黙らせることから始めないと。(画)
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話をしている人の言葉を聞いているようでいて、実は声の色や形を眺めている。それが真実であればきれいな姿が立ち現れてすいっと心の中に入ってくる。そのような話は後では歌のように何度も蘇っては反芻されて自分のものになるんだ。そうなると最初にその話をした人が誰であるかは気にする必要もない。偉い人が立派なことを言うとみんな黙って聞いているけど寒い風が吹き抜ける。「どこに出ても僕は同じことを言うよ」とガハクは言った。そうか、真実は歪められずにやっと、とうとう生き残った。(K)
オオヤマレンゲという花の中に何を見ているのか。
花の形、花の色、葉の形、葉の色、枝ぶり…絵を描き始めるとその何を描こうとしているのか…見ていたものが何なのか…特にうまく描けないと感じた時、その疑問と付き合うことになる。見ていたものと描かれたものとの対決が始まる。絵を描くことの面白さ。(画)
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とうとう新しいデジカメを買った。ぞうけいの子供達の絵をホームページに載せるのにずいぶん活躍した古いデジカメは、昨日でお勤め終了。ロットが読めないくらいすり減っていた。あんなに長持ちしたデジカメも珍しい。
白い大理石を撮るのはむずかしい。やわらかな起伏がうまく出せない。でもピンボケさえしなけりゃいいのだ。なのに手ブレしてしまったようだ。三脚の代わりに折り畳み傘の先をキャップを外して使えばいいよとガハクのアドバイス。これからそうしよう。今度のカメラはボディーが赤い。(K)
庭に大きな米松がある。モミジも大きい奴が数本ある。他にも李とか椿とか月桂樹とかライラックとかピラカンサとか…住む前からあったこれらの木に加えてリンゴやヤマボウシやカマツカなどを新しく植えた。オオヤマレンゲもその一つ。すっかり定着して清楚な香りと独特な形の花を毎年咲かす。この木の前の地面に幼い子供たちが寝転んで遊んでいたそうだ。(画)
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スモモとソルダムの二つの木は互いに上手に受粉出来たようで、どっちの木にも小さな丸い粒があちこちぶら下がっている。暑くなって来た。そろそろ苺が採れる。初摘みの苺でケーキを作るんだ。最高に美味しいケーキになるだろう。庭の精霊たちが今日もふわふわ遊んでいた。今夜の月は朧月だ。布団を夏仕様に組み替えた。(K)
45年ぶりの友と再会しても何故か懐かしさというものを感じなかった。元々この感覚自体が僕にはよく分からないのだった。それにあの時に戻りたいとも思わない。今までの中で今が一番いい。しかし今までよりずっといい作品を作るにはもっと自分自身が成長していかねばならない。(画)
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