真理は歌う
切れるノミが欲しくなったので、鞴で火を起こして久しぶりに鍛冶屋仕事をした。極細のノミだけ15本ほどだから、ほんの1時間ほどで焼き入れまで出来た。さすがに切れ味が良くて、鋭い鉛筆で書いたような線が刻めた。
歌うような優しい声の響きを内包している言葉。見ただけでうっとりするような形を持った字。紀貫之の書体に彼の顔が重なる。真理は歌うように伝わる。顔を洗いに外に出たら月がちょうど山から出て来たところだった。今夜の月は完璧な丸い形をしている。(K)
切れるノミが欲しくなったので、鞴で火を起こして久しぶりに鍛冶屋仕事をした。極細のノミだけ15本ほどだから、ほんの1時間ほどで焼き入れまで出来た。さすがに切れ味が良くて、鋭い鉛筆で書いたような線が刻めた。
歌うような優しい声の響きを内包している言葉。見ただけでうっとりするような形を持った字。紀貫之の書体に彼の顔が重なる。真理は歌うように伝わる。顔を洗いに外に出たら月がちょうど山から出て来たところだった。今夜の月は完璧な丸い形をしている。(K)
文字の背景になる模様を彫り直している。風景よりも抽象性の強い方がいいと始めたことだ。当初はもっと曖昧なものでいいと思っていたのだがどうもうまくない。機械的な繰り返し。絵の中に模様を描き込むのは嫌いではない。しかしいつもどこかに抵抗がある。こんなことに長時間かかづり合っていていいのかと。(画)
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庭のオオヤマレンゲが一つ咲いていた。卵のような白い蕾がまだたくさん付いている。これからひと月の間甘い匂いを漂わせてくれる。
リンゴに続いてスモモの摘果をした。植えてから10数年だからまだ細い木だけれど、私も軽くなったからちょうど良い。ゆらゆら揺れる梢のてっぺんまで何とか手を伸ばして敢行。
こういうもののひとつひとつがどこかに染み付いているらしい。その夜アトリエに行って彫り始めると活動を始めるのだ。深くて暗い穴だったはずの場所が、だんだん広くなって内部に温かみが出て来た。座っている人はとうとう歌い始めた。(K)
文字を書くとき文章の意味を考えて書いている。それが言葉を書く人の自然の意識の流れだろうが、時に文字の配列、線の流れとか太さ細さ濃淡などが作り出すリズム、美的な感覚に重みを置いた書き手だっていないとは限らない。
読めない文字こそ描かれるべきか。(画)
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この人たちは誰だろう、何をしているんだろう、ここは何処だろう、というようなことを考えながら彫っている。ただ突っ立っていた人は、穴の外に向かって歩き出した。座っている人は、何やら瞑想している。きっと風を嗅いでいるのだ。このふたりは、知性と情愛を表している。二つがひとつになって動き始めた時に大きな花が咲いて甘い実が生るんだ。(K)
とにかく続けていればなんとかなる。諦めればその時点で終わり。可能性も閉じられる。何が何の役に立つか誰も分からないというのは作品制作でも同じなのだ。
何かになるのを見届けねば。(画)
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「きっとこの辺りに何か出てくるよ」ガハクが言っていた通りになった。ブラックホールのつもりで彫った穴の中に人が浮かんで見えたので、そのまま刻んだ。穴の外には芽吹いたばかりの枝が揺れている。こういうのを彫りたくなったのは、きっと今朝やったリンゴの摘果のせいだ。
暗い穴の中に生まれたばかりの人がいる。二つ揃って一つの命だ。無垢という純真は最初からあるものじゃなくて、どこからかすーっと入ってくるものなのだ。(K)
公開シンポジウムのような場所で講演を聞いていた。聞いていたが話が余りにも冗長で中身が軽い。遂に「お前らつまらん話いつまでもするんじゃないよ」と突然言い放っていた。場が凍りついたのは言うまでもない。暫くしてなだめるような発言が司会者からあった。そりゃそうだよと内心思いながら、でも止まらない。「もう帰りますけど今まで使った僕の時間は誰が返してくれますかね」などとさらなるクレーマーぶりを発揮するのであった。
そういう夢を明け方見た。(画)
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思ったことを即座に言える人になりたいとずっと思っていた。それが正しいことだったら躊躇なく言えるはずだと思うからだ。それがだんだん弱くなって、やがて黙ってしまうのを熟成と呼ぶのなら、そんなものはもう要らない。今夜は雲の形がはっきりと浮かび上がって来たので、ここまでの道は間違っていなかった、この方向でいいのだと確信した。(K)
暖かい風と強い日差し、遂に春が居座ったようだ。
トワンと行った河原で石拾いをした。足元の石を見つめ手に取り眺めている。その石のこれまでの変遷をぼんやりと過ぎていく時間の中にそれを過去に延長して想像したりする。
ガジュマルの樹も過去から浮かび上がって未来へと存在し続けねばならない。(画)
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昨日は大変だった。外に設置している石の彫刻の一つが倒れていたのだ。フォークリフトで片付けようとしたら、雨上がりの地面がぬかるんでタイヤが滑って動かない。車にワイヤーロープで引っぱってもらいながらアクセル全開!一気に走り出て無事に脱出。
35年じっと動かずにいた石が倒れたのは猪のせいじゃなかった。長い時間の間にまわりに草が生え、何かの理由で草が枯れ、そこに空洞が出来て雨や雪で地面がだんだんゆるんだからだ。皆にネッシーと呼ばれていた彫刻はもう横に倒したままにしておこう。
顔を洗いに外に出た。空を見上げたら、西山の上に細い月がくっきり鋭く光っていた。夏がすぐそばまで来ている。(K)
平安期のかな文字連綿は図版でさえその美しさが見れば見るほど分かってくる。絵の中に文字を描くのは面白いのだが、今回はその抽象美との格闘を余儀なくされそうだ。しかしその為にはあまりにも自分の絵と自分自身の内容が薄い気がしてならない。こいつはまずい道に踏み込んだぞ…。(画)
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家を建てることが見栄であれば中身はいつまでも入らない。仕事だってそうだ。お金のためにやることにはどうしても限界がある。採算が合わないことには手を出さないからだ。だからこの世はつまらないもので溢れている。もう誰も来ない静かな山の中でひとりで彫っていると天使がいろいろ教えてくれる。洞穴が回廊になり山は神殿になった。(K)
パレット=画家の色彩感の代名詞として使ったりする。
歴代の画家の使った絵具が表になっていた。学生の頃一生懸命覚えようとしたが今ではほとんど忘れてしまった。同じように描けるわけないし仮に同じように描けたってそれが何になる?
それよりも彼らが死の直前まで使っていたパレットがあったはずだろう?その実物を見たい。色の種類だけでなく絵を描く時の意識の痕跡が絵具や筆のタッチと一緒にそこにあると思うとやっぱり見てみたい。Sは丸いパレットを使ってなかったかもしれない。(画)
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回廊の天井がすーっと高くなった。辺りが明るくなったのは、空の雲が光を乱反射させて森の奥まで照らしたからだ。今夜は良い仕事ができたのは、子供たちと描いた絵が明るく楽しかったからだ。人は自由の中で導かれるというのは本当だ。(K)
僕自身は外光の下で油絵を描いた事は数回しかない。高校生の冬に郊外の里山に出かけてスケッチした時はあまりの寒さにウィスキーをちびちび飲んで寒さを凌いだ。筆を持つ手の震えが飲んだ直後だけは不思議にピタリと治るからだ。でもおかげで帰りのバスで酔っぱらって正体不明に寝入ってしまった思い出。
さて、こちらは暑い夏だ。麦わら帽をかぶったSはギラギラと光る太陽の暑さに耐えながら目の前の画布に向かったに違いない。あの底から光るような沈んだ青。青の塊。(画)
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今夜、雲が湧き立つ場所を発見した。空の中にも谷がある。地獄の谷からは炎が噴き出すけれど、天界の谷からは真っ白の雲が湧き立つ。優しく良い匂いがする風が顔に当たると、スーッとする。(K)
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人を描くのが一番難しい。なぜなら人が一番知っているのは人だからだ。誰でも美しい人を知っていて優しい人や好きな人を思い描くことができ、嫌いな人を知っていて忌避したいと思っている。誰にでも理想の人物像がある。その反対に嫌悪する人物像もあるだろう。
画家の技量を見るにはその人物画を見れば分かる。
Sの顔を脳裏に置きつつ新しい顔を発見するのはなかなか容易ではないようだ。(画)
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生まれたばかりのような顔をして目覚めるあなた。青白かった手の指は、今はずいぶん太くなって頑丈そうだ。ピンク色の肌は子供たちだけのものかと思っていたが、そうじゃなかった。
冬を越した木々の芽吹きの勇ましいこと!葉の広がりが刻々と進んでいる。モミジの梢が茂って来て影を落とすようになった。
毎朝トワンに起こされる。太陽が昇る頃に庭に出たいらしいのだ。おかげでひんやりとした朝の空気を吸うことになる。ゆっくりとサマータイムに移行中。(K)
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Sに似なくてもいい、むしろ似ない方がいいとさえ思いながら、当時の彼の顔や姿を脳裏に描いてしまう。その葛藤を通り抜けるのが苦しい。
なぜ似ない方がいいかといえば表面的な「似姿」は可能な限り排除しなければと考えているからだ。表面を徹底的に追求することで内面を描き出すという方法があるのは歴史が証明しているが、今その方法で成功している人はほとんどいない。しかもそれはひどく遠回りな道だし脇道に外れやすい。
内面にダイレクトに接近する新たな方法が必要だ。(画)
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足首がだいぶ細くなった。横から見てもそうだ。ずいぶん石の量が減って限界に近づいている。上からの流れを見ながら足先までじりじりと少しずつ削っていたら、前からは見えない踵の位置がズレているのに気が付いた。彫刻は理屈ではない。そこにあるように感じたら彫ってみて納得する。理解は最後に与えられるもののようだ。そうやって得た新しい形は美しい。(K)
Sが描いた山の絵を覚えている。高い場所からやや俯瞰した風景で川と山が描かれている。どこにでもありそうな風景だが大きく描かれた青い山が印象的で夏の暑い日差しの中の空気感がよく出ていた。玉のように出て目に入る汗を首にかけた手ぬぐいで拭き拭き描いている彼を想像してみたりする。
彼は丸いパレットを使ってなかったかも。(画)
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雨上がりのテラスには黄色のまだら模様が残っている。もう杉の花粉は終わったそうだから、これは檜の花粉かな?そんなことを考えながら雑巾で拭き取った。
自転車で夜道を疾走しながら想った。こんな暗い空にも花粉がいっぱい漂っているのだろうから、私の頭にもくっ付いて、吸い込んだ空気と一緒に肺にも入っているはずだと。
朝起きたら、まずリンゴの木を眺める。日に日に膨らんでいる蕾に個性が出て来た。アルプス乙女は淡いピンク、ツガルは赤みが強いピンクだ。リンゴは互いに異種の株で受粉して実らせるのだけれど、リンゴにも杉や檜の花粉が降り積もっていると思うと楽しい。
春は空気に色が付いている。花粉の金色だ。彫っているものが影響を受けないわけがない。(K)
文字の形があまりに気に入らないので参考書を開いてみた。平安時代のかな文字を集めた本だ。どの字もさりげなくも優美だ。今更ながらこういうのを「枯れている」と言うに違いない。
この版画はもう少し時間がかかりそうだ。(画)
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今朝トワンの目をじっと見たからか、目を大きくしたくなった。ガハクの白目が今朝は水色に澄んでいた。若い頃よりもいい色だ。健康とは何だろう?子供の頃はきっとこんな目をしていたに違いない。その人の内側にあるものが表に現れることを彫りながら実感している。鼻は山だ。口は川だ。泉かもしれない。地球の表面はいつも内実を語っている。(K)
版画の白黒世界で数ヶ月、直接絵具で描くのは本当に楽なものだから自堕落にならないだろうか。いやいや今はどんどん描いて行け、それから起こることをよく見ろ、どんな色でも使え、どんな形でも描ける時になれば描ける、描けない時には描けるまで描くだけだ。
絵は感情を色にする。(画)
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面の皮が厚いのは嫌だ。自惚れが強いのも嫌いだ。嘘はずっと後になって裏側から照らされる。その時、自分がついた嘘はそのまま自分に返って来る。だからどうしようもなくて言い逃れに嘘を言うときは覚悟して使うべし。互いに大切に思っている人同士に嘘は要らない。
前に出過ぎている顔の皮を一皮剥いて奥に引っ込めるのに2日かかった。この人の皮膚は薄く傷つき易いけれど、いつもうっすらとピンク色に輝く頬は会う人を愉快にさせる。それだけで祝福されている。いい顔になって来た。こういう顔に出会うまで65年かかった。(K)
久しぶりに色を使うと随分新鮮に感じる。どんな色でも構わないという気さえしてくる。版画の間接的な絵作りの作業に比べて直接に色を出せるというダイレクトな感じは気持ちがいいものだ。この新鮮で自由な感じを保持したまま絵を描こう。絵具を友として、どんな色でもどんなタッチでもどんな形でも自発性と真摯さと自由な感受性を持ち続けるなら、美は間違いなくそこに生まれているはずだ。(画)
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新しい体を得て、やっと新しい意識が入る段階まで来た。首の付け根から手の指先までスーッと繋がったところで今夜は終了。バランスが崩れそうなギリギリのところに新しい形が潜んでいる。そこを超えられたらラッキーだ。明るい場所までもうすぐだ。(K)
子供がよくやる事、間違った鉛筆の線を消しゴムでゴシゴシ、元の白い紙に戻れとばかりに。絵を教える側としては先ずその習慣をやめさせて間違った線をそのままおいておき、それを見ながら正しい線を引くようにと指導する。絵の初心者でも同じ事。なぜなら結局同じ間違いを繰り返すのが目に見えているからだ。描きながら消し消すことが描くことになるような描き方。
でもそれに慣れてしまうと今度は緊張感のない線を積み重ね決定的な表現を先送りにした自堕落な表現の連続となる。
銅版画はその点少し違うはずだと思って来たが事情は絵と全く同じだった。(画)
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