空を彫る
雲を増やしている。風に乗ってどんどん流れて行くたくさんの雲を気ままに彫って行くのは面白い。空が動き始めると人も変わるのだ。
りんごの蕾は膨らんだし、ライラックの花芽はツンと空に背伸びをしてるし、スモモの花は堆肥が効いたか枝いっぱいに白い花を咲かせている。小蕪に続いて今日は大根と春菊の種を蒔いた。明日残りのジャガイモの植え付けをしたら、もうアトリエの畑はびっしりだ。カボチャの苗を植えたら後は夏までまっしぐら。(K)
雲を増やしている。風に乗ってどんどん流れて行くたくさんの雲を気ままに彫って行くのは面白い。空が動き始めると人も変わるのだ。
りんごの蕾は膨らんだし、ライラックの花芽はツンと空に背伸びをしてるし、スモモの花は堆肥が効いたか枝いっぱいに白い花を咲かせている。小蕪に続いて今日は大根と春菊の種を蒔いた。明日残りのジャガイモの植え付けをしたら、もうアトリエの畑はびっしりだ。カボチャの苗を植えたら後は夏までまっしぐら。(K)
ふわっとした紙がプレスの圧力で白い面のところだけ冷たい表情になる。銅版画の特徴の一つだ。ただしその効果を強く出すには紙の性質を見極めた上でプレス圧を決める。そしてインクの拭き取りが甘いと薄い膜が残り邪魔するようだから白くしたい所のインクを拭い去らねばいけないが、一方線の黒さまで拭い取ってしまうと結果的に相対的な強さが出せない。難しい。(画)
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「ツバメのように自由に空を」
今日はカンツォーネの一節を思い出しながら彫っていた。腕の後ろに彫り残してある石がだいぶ薄くなって、まるで翼のように見えて来た。
翼の傾きは厳密に!そうすれば軽く浮上できる。パタパタ必死に羽ばたくのは地上から離れる時だけで、一旦上空に出たら後は風に任せるんだ。
夕暮れの畑に入って小かぶの種を蒔いた。春が一気に訪れた。昼間の気温18度。(K)
言葉はその意味さえ伝われば用をなすのだが、一旦画面に文字として出ているからには形も問題だ。画家からすればむしろ形の方が気になるのだが、本当は文字の形が言葉の意味と一体となってもう一段上のイメージの次元に移って行って欲しい。
エングレービングの線を削るのは本当に時間かかる。(画)
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blitzでの最高の褒め言葉『cool』は、カッコイイというような意味だ。今日それを言われていい気持ちがしたので、この言葉の感情をそのままこの新しい人に注ごうと思い立った。
動きがその人を表す。額にはその人が今までやって来たことが刻印されている。髪が光りながら後ろに流れているのは、正面から風が吹いているからだ。彼は、額をじっと見つめる人の目の中に映っている自分を見つめている。(K)
自分の絵の描き方に、ある種の「気取り」があったと気づいたのは今日のblitzのせいだ。かなり真剣な対戦ゲームだとは云え乗っている戦車が壊されたって痛くも痒くもない。なのに恐怖感を持つ。でもそんなもの何でもないようなフリをしたりしてしまう。「気取り」なのだ。でもそいつが場当たり的で投げやりなプレーを呼び負ける原因になったりもする。本当はその恐怖感に従い集中力を高めて正しい戦況分析に至らせたら最高なのだ。だから「気取り」なんかいらないのだ。
絵の描き方見せ方に素の自分ではなく望ましいカッコいい自分を出そうなんてしてはいけないのだ。絵の精神を傷つけ絵の心を汚してしまう。いい絵になりっこない。
だからいつまでもnoobなんだよ。(画)
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剣道で立ち会う時に相手との間合いを取るには中断の構え、相手に間合いを測らせないのが上段の構えだそうな。どのように斬り込まれて来ても用意があるという立ち姿は、前がガラ空きというのが凄まじい。未来に上段の構えで向き合うことにした。新しい体は新しい空を夢見る。(K)
一人の団子屋がいました。自分が一番美味しいと思う団子を作る事に一生懸命で売ることは二の次、むしろ売れるような団子しか作れない団子屋は嫌だ、団子屋のプロにはなりたくないと言ったのです。すると他の団子屋が文句を言いました。団子屋にプロもアマもあるものか売ってそれで生活してるからこそ団子屋だと。ある意味そうかもしれません。でもそういう人達こそプロの団子屋を気取るばかり、実は美味くもない団子を作って人に売りつけ、時にアマチュア団子にある純粋な美味しさを知らずにいる怠惰で鈍感な人達なのです。笑。
やっとこの版画も出口が見えて来た。(画)
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お彼岸に雪が降った。ジャガイモを植えたばかりの畑にかけた猿よけネットが白いカーブを描いて被さっていた。内側から叩いて振り落とすと簡単に除雪できた。ほんの数センチの雪だったけれどあっという間に小さな盆地が白くなって行った。夜には気温が上がって雨混じりになったから助かった。アトリエを出る頃には道も森もいつもの色に戻っていた。雪は冷たい。小さな盆地の温もりをさっと抜き去ってしまうのだから。1日経って自分の体も冷えているのを自覚した。今夜は早々と就寝。
新しい人の全体がやっと見えて来た。「あなたは誰?」と問いかけながら彫っている。(K)
描き方に迷うというのは悪いことだと思って来たが迷いがなければ決断する必要もない。選択という行動の前提にも迷いがあってこそだ。
ピカソの晩年の制作が映画になっている。その中でスラスラと動いていた筆が一瞬止まり中空でくるくると輪をかいた。あゝこの人は迷っていると、その時やっぱり彼も画家なんだなと思った。
絵描きは迷うことなく一気に絵を描いたりしない。そういうことをする人はパフォーマンスとしてやってみせているか自作をコピーしているだけで、その時彼は画家ではないのだ。(画)
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足一つ分掘り下げた。これでやっと下半身のバランスを取り戻した。レリーフの彫り方とその効果を知っていれば量に頼らずとも大抵のことが出来る。その為には線を探すこと、新しい稜線をみつけることだ。(K)
45年ぶりの友と電話で話した。たびたび思い出しては反芻する過去のある時期の懐かしい記憶が蘇る。でも懐かしいと口に出してはみるが自分にとっては実はよくわからない感覚だ。あの頃あった事物や人や風景は少しもぼやけることなく今の自分の記憶の中にある。むしろそれらのものが時の経過とともに消滅して今はどこにも無いというのが信じられない感じだ。(画)
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もう完全に量が足りないのだが、角度を変え面を捉え直してわずかな光の動きを追っていたら、とうとういい形が出て来た。顎と首と肩がやっと繋がった。この胸の中には大きく呼吸している肺がある。新しい領域に踏み込むときは絶望的なほどに道が見えない場所を通過する。解剖学なんかじゃ到達できない形の世界がここから先に広がっている。(K)
彫った字体を削って直し刷って眺め又削り刷るを繰り返しているが、なかなか満足なものにならない。
それよりもこれは文字なんだし言葉なのだから詩の内容が頭に入ってくれば形などどうでもいいのではないかと思えて来る。
だが絵として書かれているからには字体とバランスの問題から逃げることは結局できない。ちょっと参っている。(画)
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曇り空からポツポツ、、、やがてさーっとカーテンを引くように雨が降り始めた。これは畑は止してすぐに仕事をしなさいと言っているのだ。素直に従うことにする。今日も顔から彫り始めた。体に合う顔に、顔にぴったりする体になるまで行ったり来たりを繰り返す。小さくなった顔は清々しくて高度の上昇を思わせる。重力があるから浮力があるのだ。何もないところに下降も上昇もない。やっと新しい人のバランスと重心が探せた。途中でガハクから電話あり。「電話した?」「いや、しない」blitzやっていると電話に出られないのだ。コーヒーとblitzは脳にいい。(K)
内省化ということを考えながら夜中に仕事をしていると、隣家から大きな歌声が聞こえて来た。昨夜も聞こえた。数年前から時々聞こえる調子っ外れな高い声の主が誰かは分かっているのだが、その彼の顔や姿をここ数年一度も見ていない。たぶん彼はいわゆる引きこもりなのだろう。他にも近くにそんな状態の人を知っている。
自分の真実に近づく為に引きこもりを選んでいるつもりの僕と彼らの共通点と違いとは。(画)
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毎日顔をいじっている。だんだん小さくなっていく頭部のせいで『新しき人』は不思議なバランスの人になった。首がずいぶん長くなった。手は思い切って小さくしたけれど腕は長いままだ。右手は空間にぴょんと飛び出た。左手は空に溶け込んで光に包まれている。体は細く益々締まっていく様相。(K)
自然が常に動いているという事実を絵は伝えなければいけない。ある日セザンヌは風景を描きながら若い詩人に言ったそうだ。
自作の前でモンドリアンが私のこの色の断片たちは細かく振動していると言ったのは議論に終止符を打つためだけでなく実は彼の絵の重要なモチーフになっている。その事は具象から抽象に移る時代の絵を見れば明らかだ。
脳死のことを書いた本に、人が生きているか死んでいるかをどう判断するかと子供に問うてみたら動いているかどうかだと答えたそうだ。医療上の危うい解釈を超えてこの判断基準は絵画においてはかなりはっきりしたものではないだろうか。
この版画もやっと動き始めた。(画)
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手を小さくしたら、暗がりに光が差し込んでそこに佇んでいる人たちがよく見えるようになった。風が吹くと桶屋が儲かるというのを、桶屋が儲かるのは風が吹くからだという風に考えてみる。そうなるようにと目論んでやることからは新しいものは何も生まれない。目的が悪いのが時間の経過とともに周囲に知られるからだ。純粋なものが風雪に耐えて生き残り、そこに新たなものが誕生するという夢。(K)
「窓を開ければ埃も一緒に入って来る」フィリピンの諺だそうだ。
アフリカの現代彫刻家が「みんな他人の作品を見過ぎて誰もが同じようなものばかり作っている」と言うのを聞いた。
「眼裏に見える形かりそめの姿なれども空しからず…地上に開く一輪の花の力を念じて…」
いいものを生むはずの知識が新しいものが生まれるのを阻害するならば窓は閉めないといけない。(画)
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花火のようにパッと開いただけの小さな手にしたら光が差したように思った。この手のおかげで先に進める。空のイメージも湧いて来た。新しいものが生まれるには小さなものをすくい上げなければならない。小さく輝く手が空の彫り方を教えてくれる。まず雲の影を彫って、風の襞を刻んで、あとはまた浮かんで来るだろう。必要なものはその時になれば与えられると言うじゃないか。
「カネのないやつぁ俺んとこへ来い 俺もないけど心配すんな 見ろよ青い空白い雲 そのうち何とかなるだろ〜」とガハクが歌っていた。植木等が歌っていた頃は面白い歌だと思ったが、今はやさしく人を癒す歌にきこえる。(K)
文字を絵の中に書き込むのが好きだ。文章の内容もだがその書体が絵の要素としては大きい。ウィリアムブレイクとか近くではジャスパージョーンズなどの例がある。棟方志功の踊るような版画文字も美しい。どちらかというとアルファベットより漢字やかな文字の方が版画にするのは難しいと思えてしまうのは単に僕のイメージの貧困に過ぎないのだろうか。
とにかくこいつは何とかしないと。(画)
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顔がまた変わった。わずかでも違和感があるうちは前に進めない。顔が決まれば自ずから周りも決まって行くんだ。胸の張り具合も顔に合わせて穏やかなカーブになった。今日は最後の最後にやっと腰に届いたところで道具を置いた。顔に差し込む光が下まで降りてくれれば、腰から下もさらっと彫れるだろう。(K)
天狗が夢に出てきた。手に持ったおかしな形のものをヒラヒラさせて何かを示す。その方を見てみると、わが愛すべきトワンがいるばかり。天狗だと思ったのは赤ら顔で鼻が妙にでかかったのと大きな図体をしていたからだ。すると手にあったあれは団扇というわけだ。はは〜んあれはトワンを褒めてるんだな。
形をとらえたつもりで実はとらえられたのは画家だった、ありそうなこと。(画)
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影に隠れた形がとらえられれば、頭から足先までスーッとひとつながりの線が見つかるはずだ。今日は顎の下と脇の形がだいぶよくなったから腰のラインまで下りてみた。明日は膝の辺りまで行けるだろう。
透き通ったいい空気を胸いっぱいに吸い込んで、いよいよ春の始まりだ。まだ畑のネットの支柱は倒したままだ。もう一回くらいは雪が降るかもしれないから用心している。暑さ寒さも彼岸まで。この辺りでは昔はお彼岸過ぎてからジャガイモを植え付けたそうだけど、この頃は暖かいから3月に入るともうやっている人もいてそわそわする。(K)
花の形だけ直せばいいと思って始めたが文字列も相当直さないといけないと分かった。
修正をしていると分かる。それは以前の技術不足だけでなく、その当時の心持ち、甘さとか不純さが見える。今それを徹底的に矯正できるとは言い難いが、理想に少しでも近づけると思えるだけでも意味あることに違いない。(画)
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今作ったばかりのものと比べて昔の作品が劣っていると感じたら、自分がそれだけ進歩したのだから昔の作品は廃棄すると言った彫刻家がいた。いさぎよい態度だとも思うが、僕なら廃棄ではなく修正を選ぶ。
「中尊」と題したこの版画を直し始めた。購入していただいた方には申し訳ないが花の形も文字列も気に入らない箇所だらけだ。修正できると思えたのは進歩した証拠だから仕方がない。(画)
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昨日は風が強くて自転車がなかなか前に進まなかったが、そういう日にも良いことがある。アトリエの天井がパタパタ鳴ってトタン板の一部がめくれ上がっているのに気が付かされたから。梯子をかけて屋根に上がるとそこは小さな盆地の真ん中、すごくいい眺めなんだ。
冬の満月の夜に大風に屋根が吹き飛ばされたことがある。大いに焦ったが、あの晩の美しい月のことは忘れない。月は私たちの作業する手元をずっと明るく照らしていた。懐中電灯は要らなかった。
今夜の満月はほんとうにまん丸だ。(K)
Nと二人で京都の寺の蓮池の脇でスケッチをした。彼は絵が上手かった。技術ではとても敵わないなと思って僕は引け目を感じていたものだ。
絵が上手いから絵描きになるわけじゃないし、下手だからなれない訳でもない。画家の資質と技術の巧拙は何の関係もない。Nにはその事が当時からはっきり分かっていたようだ。どうってことないようなつまらない作品でも他人の描いた絵を見る目の鋭さと真剣さに驚いた。何でも吸収してやろうというあの目はまさに貪欲な画家の目だ。絵と真摯に向き合うことのできる資質こそ画家の天分だろう。
あの時蓮池に花が咲いていたかどうか、さっぱり覚えていない。(画)
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産毛のような柔らかい毛髪がびっしり生え出したのを見つけて驚いた。だんだん長くなるのを毎日楽しみに眺めていたら、やがてスポット状に毛の房が出来始めた。そう言えばガハクは天然パーマがかかっていたのだった。天頂がいちばん後にゆっくり埋まって行く。つむじの周りにカールした毛が現れたから、これは本物の再生だと確信した。「絶対にハゲは元には戻りません」ときっぱりプロの美容師さんに言われたのを思い出しながら、ニヤニヤする毎日である。
新しき人の髪にもカールをかけた(K)