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2018年2月

月夜

明かりの縞模様が床に落ちているので出窓のブラインドを開けたら輪郭のぼやけた月が露結したガラスを通してキラキラと光って見えた。
ウィリアムブレイクは人々が注目する光輝く太陽ではなくひっそりと静かに光る月にこそ愛を見出せと言った。
愛と猥褻とは違う。例えば…例えば…さっきまで覚えていたのに出てこない絵描きの名前…最近はこういうことが非常に多い(老い?)…その彼だって「調子の美しい変化を描き出す喜び」と言っている。絵描きとはそういうものだ。猥褻を厳しく嫌った人例えばゴーギャンとか、排除した人例えばゴッホとか、興味のなかった人例えばセザンヌとか。そうでなければ出ちゃっても仕方ない。まあいいやそんなこと。(画)
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てっちゃん

母は若い頃はてっちゃんと呼ばれていたらしい。一つ違いの弟とはとても仲が良かった。二人は額の形がよく似ていた。新しい人を彫りながら二人のことを思い出している。想いと意志がぴったり一致したとき決然と動く人たちだった。懐かしい古代の人の額を持つ人たち。

今まで見たことも会ったこともない人を石の中に彫ろうとすると、どこからか静かに浮かび上がって来る形がある。新しいものに重なる親しいものたちがいる。(K)

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成長と衰退(よっちゃん)

僕の薄くなっていた頭頂部の髪が最近日増しに濃くなってきたそうだ。そんなことあるかい?と半信半疑だが観察している妻が言うのだから間違いなさそうだ(笑)
吉本隆明が「人は部分的には体勢を戻すことができても全体的には衰えていく…」と言うのを聞いて確かにそうだとその時は笑った。
それから解剖学の教授が講義の中で「成長は18歳までで後は老いていく」と言ってたのも印象的だった。
でもちょっと待てよ。それって「人は生まれた瞬間から徐々に死んでいく」と言うのと同じじゃないかい?
生命体は生きるのを止めた時に死が始まり、成長は死が始まるまで速度はともかくその動きを止めないというのが本当じゃなかろうか?(画)
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新しき人の方へ

主題の顔にとりかかった。この人は生まれたばかり。年齢不詳。今日はアトリエの地代を払ったし、いつもやろうやろうと思っていてなかなかやれないでいたガレージのドアも洗ったから気分がすっきりしていたせいもある。新しい顔が出て来た。春の兆しに地面も動き始めた。小さな芽が顔を出している。水仙やチューリップ。薔薇の赤い芽も鮮やかだ。彫ろうとしても彫れない顔が彫れるのはこういう日だ。(K)

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よっちゃん

よっちゃん、と母は幼い頃から呼ばれていたらしい。長女で弟が一人妹が三人。父と結婚して子供を9人産んだ。母が9人目の僕を生んだのが40歳で、そのせいもあり女性としての母の若い頃というのが写真で見てもピンとこない。アシルゴーキーに母親のデッサンがあり印象的なものだった。幼年の画家自身と並んでこちらを見る。数枚あるが皆同じ角度同じ服装で描かれている。その固定された印象は写真を見て描いたのか、それは幼少の頃に死別しているからではないかと思った。
僕の母は84歳まで生きた。(画)
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新しき人よ目覚めよ

「新しき人よ目覚めよ」というのが、これを彫り始めたときの主題だったのを思い出した。ウィリアム・ブレイクの絵に触発されてのことだった。それにしても難しいテーマを選んだものだ。完成直前で止めて今また彫り直しているのだから、理解するのに12年もかかったことになる。

今夜は回廊の壁に砥石をかけながら人と犬の輪郭をはっきりさせた。顔の大きさは実寸で2㎝ほどだ。平ノミの角で白目をピッと、胸に当てた手をツツツーッと刻んだ。背後に伸ばされた左手が「あっちに行こう」と言っている。(K)

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幻惑

ダブステップ(ロボットダンス?)にハマってる。散歩中にも体をそれっぽく動かしてみると楽しい。ゆっくり歩く動作の途中で止まるというだけで起こる違和感が面白い。裏切られた時間の感覚。止まっているかと思うとゆっくり動き出し突然速くなったり戻ったり。
僕らが見ているのは動作ではなく時間なのか?裏に流れるビートの効いた音楽は一定のリズムを叩き出し止まることのない時間の推移を示しているのに。
絵の中にも時間はある。時間をコントロールし違和感を作り出す。(画)
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垂直

ふと思い立って作業台に水平器を当ててみた。太い桜の丸太の上で彫っているので急に不安になったのだ。レリーフを彫っている四角の大きな作業台の上に運んで、そこでも水平器で確かめてみた。回廊の柱はまっすぐ立っていた。ということは、人間の垂直も大丈夫だ。

人の足の裏が地面にどう触れているかが問題なのだ。ふわっとなのか、どっしりなのか、ちょこんとなのか。男の人の靴の形はスマートにできた。女の靴は安全靴だから大きい。トワンの足は軽く。

今日は春の日差しを感じたので、ポットに夏野菜の種を蒔いてトレーに載せて窓際に置いた。(K)

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バーバリズム

ヤスリ棒とニードルで版面をひっかいて反応を見る。顔を描くのはそれが一番気楽だからだ。
どんなやり方で始めようと構わない。現れてくるものが行き先を示してくれるはずだ。そうでなければそうなるまで続けてみよう。技法とバーバリズムは折り合いが悪いと思う人は表面しか見ていないに違いない。芸術の根幹にあるのは自由さだもの。(画)
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懐かしい人達

石の中から浮かび上がった像を見て「懐かしい人達が出て来た」とガハクが言う。以前どこかで会ったことがあるというより、ずっと昔の懐かしい人達のこと。意識の最内部にそっと残されている記憶と通信することが出来れば、さぞ美しく楽しい風景が蘇るだろう。

トワンのシッポを彫ってみた。なかなかいい形だ。ふさっとして優しい感触が出ている。後は周りの空間を上手に磨けるかどうかだ。指が届かないほど深い壁に小さな砥石を当ててコリコリ磨く。ときどきヤスリも使ってみるが、角度がうまく合わない。あれこれやっているうちに一番いい色と艶に行き着くだろう。(K)

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あゝ打て心を、そこにこそ魂は宿る

というドラクロアの詩行を読んだのは高校の頃でその時はちょっと何言ってるか分からないよとw。でもそれから何十年か経った今、そんな気持ちにもなる。ドラクロアのシェークスピアを題材にした石版画に感動しいつかこんな絵が描けたらなあと憧れたっけ。未だその気持ちは無くしてないぞ。
強い風が吹いている。時々雨戸がガタガタする。
ロマン主義絵画、ドラクロア、ジェリコー…今でも大好きなんだよな。現代の冷めた感性の後にきっと又復活するに違いない。
この版画にもそろそろ離れる時期が来たようだ。まだ少し未練がましくちょこちょこいじるだろうが。何をやってもそう変わりはしない。
ある心境がある作品を生み出すのではなく、できた作品がその時の感性を形作るのだ。(画)
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手の純真

わざとらしくない手にしたいとあれこれ彫ってみたが、ただパッと開いた手のひらが一番この場面に合っていた。平ノミの角で指の間を刻んだ。彫っている時に裏山の石窟の壁に彫られた線彫りの不動明王が浮かんだ。シンプルな線で彫られたその像は大したものではないけれど、野心邪念欲念のない鑿の痕が好きだ。

今夜も足元の地面を掘り下げるのにずいぶん時間がかかった。頭をどんどん小さくしているのに脚の長さが足りない。じりじり長くしている。形がキュと引き締まって来るほど人は大きく見えるのだ。(K)

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わかるね

その昔大橋巨泉という人が万年筆のCMで「キャプリキとればすぎちょびれすぎかきすらのはっぱのにのに。わかるね(笑)」というのがあった。どんな優れたキャッチコピーより言わぬが花的で素晴らしい。
全てを説明する必要はなく、見る人に任せるという行為は内省の究極にあると思う。
人物の周囲の面を削る作業ばかりが続き人物の方は時々ちょっとニードルで手を入れる。
しかし裏から見ると強いプレス圧のせいだろうか銅板の薄い所が島状に色が変わっている。これはやばいんじゃなかろうか。でももう少しで終わりだ。(画)
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仕事のし易い照明

久しぶりに太陽光が天窓から入る時間に仕事をした。奥の暗がりが彫りやすかった。やはり蛍光灯だけだと形が見えにくいのだ。夜になってスポットライトで照らして写真を撮ってみたが、あの後ろまで淡く回り込む昼間の光線は出なかった。優しい気持ちの良い光だった。あの時間に仕事をしよう。山に太陽が隠れるまでの午後の美しい時間に。(K)

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顔で始まり顔で終わる

人物画は顔で始まり顔で終わる。顔が描けないと背景も描けないし主題が人物になかったとしても絵の方向性も分からない。ジャコメッティが顔が描ければ全てはたちどころに完成すると言ったのもこの意味だ。
削るだけのことにずいぶん時間もかかり苦労した。そしてまだ完全に作業は終わってないが今までになかったものが徐々にだがはっきりと出て来たように思う。(画)
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手の置き場

男の彫り直しに取りかかった。まず顔を、そして手の位置をすっかり変えた。左手は女の後方にすっと伸ばして掌で降り注ぐ光を受けとめているようにした。

マルケス・スコットのdubstepを見ていると、手がいつも何かに触れているのが分かる。そこらじゅうに何かが在るようなのだ。手を動かすとそこに意味が生まれるけれど、怖れず抑制せずに思い切って動かしてみよう。(K)

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時間切れ

最近ある思想家(のはずの人)が自死して話題になった。世の人には全て例外なくその時が来るとは誰もが知った事実、つまり人生はいずれ時間切れになるのだ。それを待てずに人生を終わりにするにはその人なりの理由があるのだろう。しかし…
今までの自身の有用性を疑いもしていないという自惚れに気づく事もなく、どれだけ他人の世話になっているかにも考えが及ばない。
「社会にとって有用性の低い人間は死すべしと言うなら誰しも殺されずにおれない人間はいないだろう」(ハムレットの台詞をもじってみましたw)多分もっと違うこと、情念から来る衝動のようなものがあるのだ。
まだ削りきれないが時間切れで今夜はここまで。(画)
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生きてるうちに

そうそう、忘れずに伝えておかなくちゃとマスターが「ガハクさん達には魂になってから会うから」と言ってましたよとのこと。遠くに旅立つ前の伝言としては意味深だ。会う気は無いぞという意味かとも思ったが人の内面は分からない。分からないままで置いておいて欲しいということだろうか。それにしても面白い人だった。音楽のすべてを噛み砕いて直裁に語れる人だった。果たして魂の居所、あるいは戻って行くふるさとが同じ場所だろうか。この世で少しでも一致したイメージが浮かび上がっていればやがて何処かの小さな乗越を過ぎた辺りでひょっこり会えるかもしれない。生きているうちに見つけておかねばどうにもならない。(K)

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猥褻性

「私の女性達こそ純粋な美しさを持つイヴにふさわしい。ヨーロッパの女性は美し過ぎその裸の姿は私達に欲望を感じさせずにおれないのだ」と言ったゴーギャン。彼の言う「私の女性達」とはタヒチの女性のことだ。
表現されたものに猥褻を感じると鬱陶しく思える。最近よく見るロボットダンスやマルケススコットの踊りに性的なアレンジが全くないのも好ましく感じられる理由の一つに違いない。
これも年齢と言うことだろうかな。
版は今ひどい状態だがここからよくなる。(画)
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澄んだ冬の空気

今日から犬と人を彫り直し始めた。まずノミ作りから。薪ストーブからすくいとって来た熾火を炉に放り込み、上にコークスを載せて送風機を入れたら、さっと火が燃え移った。

棒立ちでこわばった所をぐんぐん削り取った。犬はもっと小さく、女の腕は犬に回し、男の腕はふたりを覆うように後ろに回せば何のことはない、辺りに柔らかな空気が漂うではないか。服は今着ているようなものがいい。その方が超時代的だ。(K)

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空を描く

「すなどる人」だと思い始めたら色々なところがそこへ向けて次々と変わって行く。今日食卓で話した彫刻の「空が彫れなかったから色んなものをくっつけてしまっていたのね」という話。
空虚なものが充実した空間になるには「空(虚)」に包まれた「在る」ものが充実しなければならないのだろう。そしてそこは青い色に満ちるのだ。
また削らなくちゃ。(画)
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in the air

青い空を大理石に彫った。透き通った大気に生まれたばかりの雲がひとつ浮かんでいる。縁に刻んでいた模様を削り落としたら、空がすっと高くなった。何にもないところに充満しているものを彫ることが出来ればこの人は完成する。少し分かったように思う。だって以前はここまで彫れなかったから。(K)

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すなどる人

ずいぶん顔が変わってきた。これは「すなどる人」ではないか。
いつも作品を作るのに忙し過ぎて基本的な絵を描くということを忘れがちになる。絵を描くよりも版画を刷り上げることに重きを置き過ぎてしまう。いや本当はそうでなければいけないのだが自分にはそのための十分なメチエがない。でもそれを言うなら油絵でも彫刻でも同じじゃないか。要は全ては生きて呼吸していなければいけないのだ。
自己のニュアンスから始まり最後もそれで終わること。そうでなければ作品は必ずいつかは硬直して命を失う。(画)
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雲の動き

雲の谷間の磨きにくい所に砥石を当てると、だんだん石の色が半透明になって深みが出て柔らかさが増して来る。雲の稜線の角度を決めたときのことを思い出した。朝の青い空を眺めていると、ときどき雲が生まれる瞬間に遭遇する。雲は風に押されて光が射す方へふぁーっと広がって大きくなって行った。

今日は子供に雲をパステルで描かせた。生まれたばかりで、まだ名もなく形もはっきりしないが、動きのある自由な形をしている雲だ。何度も描いているうちにいい形が画用紙の中に浮かんで来た。意識の伝達と共有ができた瞬間だった。(K)

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びょーきクラスタ

昔「びょーき」って言葉があったんだけど最近は聞かないな。妙なことにこだわる人の性格をそういう言葉で表現する事に差別感や迫害よりも一つの許しを感じたんだけど。
ちょっと前だと「くらすた」というのがあってこっちは正確には分からないがセクトなどの排他性はなくて平たく区別するだけの相対化が働いてる感じ。
今はどういう言葉があるのかな。
おれのも「びょーき」かもしれない。削りるばかりで遂に壊れて来た。でもこれでいいんだ限界までできたらいい。(画)
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右手の役目

右手も解き放たれた。自由になると自由になる前のことを振りかえることはもうない。だけど全てはいつでも引き出せる状態でその人の奥深くしまってある。名も無くなって姿も変わってひとりぼっちの旅の果てに出会う人に親しみを感じたら、それは昔どこかで関わりがあった人だ。互いにじっと見つめ合うと、突然蘇る記憶。抱き合う二人。そういうことがあるというから日々の会話を大事にしている。ないがしろにしてはつまらないことになる。(K)

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抽象的衝動

ミニマルな単純な線の繰り返しを人物の周りに使ってみている。そこに何かが見えた時それを良しとするかどうかだけを考える。いやそれさえも受け入れるつもりでやっている。もっと精緻にとかもっと美しくとかいうような方向性だけで生まれて来るものを見てみたい。抽象的衝動かもしれないが抽象画にはしたくない。(画)
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解放された手

両手を広げて空を見上げているように彫ったつもりだったが、どう見ても後ろの壁に縛り付けられているように見えた。どうやって解き放してやろうかというのが最重要課題。やっと片方の手は解放された。右手はまだ後ろの壁の彫りが終わっていない。明日思い切って彫り出すつもりだ。

狂乱の狂宴が繰り広げられそれが窮極に達したとき、それまで嘘の天界を形成していた者達が音を立てて滑り落ちて行くのだそうな。するとそれまで山の洞穴に隠れていた大人しく優しい人たちがそっと姿を現わすという。これはスエデンボルグの霊視だけれど、あの時代に今は似ている。耳を澄ませば聞こえて来るようだ、どどどどどーっと地すべりの音が。

そんなことを考えながら彫っていた。今夜は皆既月食だというのをすっかり忘れていて、明るく光る十四の月を見上げながら車に乗り込んだのだったが、夜中に庭が暗くなって月が食べられてしまった。あれは嫌な色だ。でもまた無事に元の姿で出て来た。よかった。(K)

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