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2017年7月

色の選択

最近は絵具の色数を少なくしている。別に決めたわけではないがたくさんの色を使おうと意識していた時期もあったことを考えればある種のストイックな精神状態にいる。ただ体感的には赤と緑と白で描くことで一種の安心感というか自由感を持てるのだ。具体的に絵具の色で言えばカドミウムレッドとコバルトグリーン又はパーマネントグリーンとシルバーホワイトの混色で全てを描く。そして絵が要求すれば黄色を加えたりする。その程度で描き終えることができればそれが一番いい。(画)
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やわらかな森

勝手に生えている木々が作る森が好きだ。いい匂いのする方へ歩いて行けば迷うことはない。川はすっかり削った。風が光りながら渡っていく。鹿がもっとずっと向こうの方へ小さくなって遠ざかっていくように見えれば最高だ。

裏山を歩いていて見つけた小さく可愛い庭園を思い出した。あちこちぐるぐる回って、やっとまたここに戻って来た。(K)

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カビ取り

以前描いた絵を描きなおそうとまたぞろ奥から引っ張り出してみたらカビが浮いていた。描きなおすから別にいいんだが気持ちはよくない。絵具内部に生えたカビは完璧にとるのは難しいみたいだ。テレピンでもいいが最近覚えたのはアルコールで拭くというものだ。

アルコールといえばカビ取りの為ではなく、オイルを脱脂するという方法について。古いオイルはアルコールにしか溶けない。ゴッホの残した手紙にそういう趣旨の事が書かれているが本当に試した事は今までなかった。ゴッホは乾燥した後の油絵具の黄変を極力なくしたい為に完成した絵の表面をアルコールで洗うと書いていた。(画)
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幻の山

月に照らされて浮かび上がるカールの中央に小さな森を彫り込んだ。目を凝らせば森のほとりに小さな湖があるのが分かる。水面が月明かりで光っている。

ゆっくり彫るのがいいのだ。ゆっくり降りて来た山だから。(K)

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老いたレンブラント2

線(溝)を削り落として新たに線(溝)を彫る。この繰り返しが凹版画の作業の全てだ。そう思ってみればこんなに単純で簡単な仕事もない。
この版画はビュランでほとんど彫られている。ビュランの溝は深い。削り落とすには時間がかかる。最近はニードルで彫るのが面白くてビュランの線を削り落とした後ニードルで線を入れている。ニードルの溝は浅く修正するために削り落とすのはビュランよりずっと容易だ。しかしずっと柔らかな表情を作り出せる。だいぶ変わってきた。(画)
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タカマガハラ

雷と雨の音を聞きながら、夏山の縦走を思い出していた。三千メートル級の山稜を渡る風は真昼は涼しく、夜は凍えるほど冷たい。セーターを着込んで寝るほどだ。

『高天原』という所はどんなところか楽しみにして歩いていたら、道はどんどん下ってだんだん蒸し暑くなって行った。谷に降りると渓流が流れていて軽装の若人がそこらじゅうで遊んでいた。雰囲気が全然違う。ここが高天原かと、がっかりしたのを覚えている。そこは下界からのアプローチが良くて誰でも簡単に入れる場所だったのだ。そこからまた高度を上げて行くのが辛かった。やっと着いたのが『雲ノ平』、良い所だった。テントを張って一服。見回す稜線小さな盆地。

空を飛ぶ蝶はとうとう山になった。幻の山だ。(K)

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老いたレンブラント

死んでるか生きてるかどうやって調べる?と子供に聞いてみたら「つついて動かなかったら死んでる」と答えたそうだ。(脳死:立花隆)
そうかもしれない。あの日朝まで動いていたSは昼にはビニールシートでぐるぐる巻きにしても苦しくないらしく動かなかった。翌日も同じ形をしているように見えた。でも死を体験したことのないほとんどの人間にとって死はやはりどういうものか分かる事はないだろう。魂とか心とか精神というものを発見してしまった僕らには誕生と同じくらい死も分かることはないだろう。
夢に出てきた「目の大きな種族」は間違いなくSだし、僕が彼らの同族だと言われたのは僕自身の願望に違いない。老いたレンブラントも大きな目をしている。(画)
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雲の階層

海と空の境界ははっきりしている。そして雲には階層がある。低い雲は重ったるく、中間の雲は愛らしい。高層を流れる雲は爽やかだ。

今日ぞうけいに来た子供たちに
「海の上に浮かんでいる雲を描いてごらん」と言ったら、ぷかぷか空に浮かぶ羊雲を描いていた。もっと夏らしい入道雲にして欲しかったのだが、まだイメージがないらしい。子供は自分のサイズの雲を持っている。怖いものや大きなものをじっと見つめるには、大きな安心に包まれた静かな状態が必要だ。(K)

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イヴィッチ3

油彩で描いてみる。
僕は今まで油彩画をベースに版画におこすということがほとんどだ。油彩の自由度に比べれば木版画や銅版画は、彫るという後戻りできない所や少ない色数などずいぶん制限された表現方法だ。むしろ制約がある方が仕事が楽なこともあるということも言えるが。
版画で始めたことを油彩にするという順序は珍しい。油彩という自由な表現空間にどう版画で気づいたイメージを解放することができるだろう。(画)
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ピアニストの島

水が彫れるようになったのがとても嬉しい。波打ち際の水が足に触れた時の冷たさを想いながら探っていると、出て来る形がある。ちらっと現れた美しい真実を逃さないように捕まえる。そしてそこから広げて行く。ピアノの重さ硬質さは弾き手の感情をがっちりと受け止める強さと柔らかさが必要だ。

あの美しいバッハの旋律を奏でたグレングールドが、音楽は情事であると言ったのだそうだけど、どういう文脈の中で語られたのか知らないから用心しながらも、直裁で驚いた。裸の心を音にも言葉にも表す人の清らかな勇気に感動する。(K)

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生命の起源

今日は油絵を描いた。版画ばかりやっていたのでちょっと新鮮な気分だ。
アマリリスの続きをしようとしたらアマリリスのイメージを忘れてしまっていた。それで勝手に描けばいいなと始めたらこんな絵になった。そんなに悪くないんじゃないか?植物を描くのはやっぱり彼らが生命の始まりだからだろう。創造は生命と切り離しては考えられない。(画)
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トワンのスフィア

トワンの周りを彫っている。足の間、尻尾の隙間を流れる風の動きが見えて来て面白い。丹念にさらっては砥石をかけている。そこにはやわらかで清涼な空気が広がっているように思えるのはトワンの徳だろう。誰にも愛されながらも自由に振る舞えるというのは人間には有り得ない。

今日は無意識の会話というのを考えていた。表と裏、外と内が一致していれば一気に語り、突然黙しても通じるはずだ。とすれば、思ったことはすでに相手に知られている。そこは無意識界だけれど真実が動き出したら誰も止めようがない。美しいものは強いんだ。(K)

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イヴィッチ3

刷りがイマイチ自分のものにならないと感じる。それでもインクを拭き取って行く段階で、プレート面をよく見てどのくらいのインクの層が残っているかの判断が、ようやく少し分かるようになってきた。この状態で刷ったらどんな感じの画面になるのかの判断がもっとできないといけないのだが、少しでも見えて来ると面白くもなって来る。
イヴィッチはイヴのことだ。(画)
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船底

海に没している山裾を探りながら彫っていたのだけれど、船底のように丸くなって海に浮かんでいるということになった。急に軽やかな気持ちになった。激流がとおめいなまるい球を前に押し出しているように見える。動き始めたようだ。

明日上海から発送された新しいMacのパソコンが届く。
「きっと驚くよ」とガハクが言う。これを機会に、『となりの戦車隊長』『母のゆめ』の原稿をKindleに上げて出版してもらうことにした。ひとつひとつやって行く。その日は山が動く。(K)

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イヴィッチ2

なかなか気に入った顔にたどり着けない。それでも直前よりはいいと思えるようになったのは年の功というべきか。修正という名の作業をしていて一番辛いのがこうしない方がよかったという後悔が来ることだ。以前はその感覚が常にチラチラしていたものだが最近はすっかりなくなった。そして今少し気になる所はさらにつっこんでいけば必ず道が開けるという確信さえ持てるようになったのだから大したものだ。
やっぱり年の功だね。(画)
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謎が解ける時

やっと人や動物のそれぞれがくっきりした美しい形になって、まわりの空間を見回す余裕が出て来た。海と湖の違い、水と空の触れ方など、いろいろ試している。今日は、とおめいなまるい球を包む虹が海に吹き込む様子を彫った。

もう少しでこの物語の意味が理解できそうだ。(K)

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銅版画のための銅版画

何かのイメージを絵にしたいから絵を描く。それが表現の王道だと思うが、描きたいという気持ちに押されて主題を見つけ描くという事も多い。ただその場合の問題は表現の主体と目的が転倒しやすいことだ。
銅版画は技術が幅を占めているので尚更そういう事になりやすくそうなると技法の偏りに落ち込んでしまう。やっと解放されてきた気がする。自由度が出てきた。(画)
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湖底まで届く音

湖底まで届く光の棒を彫りながら、これは音の棒だと気が付いた。ピアノを弾く人を包んでいる音の隔壁。音を出している主体は自らが出す音で守られる。

学生の頃いつものように朝から外で石を彫っていると、「あゝやっぱりあなたの音でしたか」とF先生に声をかけられた。駅に下りて公園を歩き出したら聞こえて来たそうだ。いい音だったのは、きっと鉄ノミを使っていたからだろう。あの頃でもフイゴで火を起こして鉄を鍛えてノミを作る人はもういなかった。女の私の手や肩には鉄の道具の方がいい。切れ味がよくて優しいのだ。的確な方向で打てば大きくハツルこともできる。

深い湖底のやわらかな陰影を鉄を薄く叩き延ばした平ノミでさらった。ピアニストの足元に広がる空間の深く蒼く澄んだ水の色が出せた。(K)

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描く喜び

描く喜びは一個の作品の完成にではなく、描くスキルの向上にでもなく、描いている途中の意識の覚醒にある。若い頃に発見した(と思った)作品の作り方、気持ちのあり方などは一つの固定観念でしかなく常に足を引っ張るし邪魔でしか無いもの、壊していかねばならないものばかりではないか。
壊すべきものを発見しそれが実行できた時、描く喜びが湧いてくる。戻ってはいけない。(画)
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足の裏を照らす月

ガハクが面白いニュースを見つけた。足の裏の話だ。
兄と妹の二人のうち、いつも蚊に刺されるのが妹ばかりなのを訝しく思った兄が、その原因を突き止めるべく研究を始めたのだそうな。二人が小学生だった頃から何年もかかって、ついにその原因は足の裏にあることを発見した。

最初は二人の衣服を並べて置いてみたのだそうだ。帽子やシャツに始まりついに妹の靴下にばかり蚊が群がるのに注目した。で、足の裏の雑菌の数を調べたら、妹の方が多かった。足を綺麗に洗うようにしたら寄り付かなくなったという。蚊は汗や体臭に反応するのかと思っていたが、そこに生息する菌の出す臭いが好きらしい。

天使の仕事は、例えると体を支える足の裏のようなものだという話を思い出した。よくフィットしてよく似合う靴を履いている美しい足が浮かんで来る。その夜は丁寧に足の裏を洗った。だからかどうか今日は蚊に刺されていない。虫除けスプレーは使わなかったのに。

水の中に漂う月を彫り直した。(K)

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無彩の色

版画の多色刷りはうまくいった試しがない。単にスキルが足りないというのもあるが、単色刷りよりも基本的に絵の色を出しにくい。油絵でも色を多く使えば色彩豊かな絵が描けるわけではない、むしろ色数を減らした方が色彩を感じさせやすくなる。版画でもそれは同じで単色の方が多色よりも色を感じやすいのだ、どういうわけか知らないが。ただ単色でも色彩の豊かさには作家の色への感受性が大きくものを言うから怖しい。
この版画は色彩感に乏しいのが問題だな。(画)
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雲の羽

形を彫った後にもう一つ先に峠が見えてくる。そこまで行くのはしんどいのだけれど、ゆっくり歩けば誰でも行ける場所だ。確かに誰でも行けるはずなのだけれど、踏み跡がない。ずいぶん長いこと誰もここを通らなかったようだ。草だらけで石ころが浮いている。羽の輪郭を決められるのは、中の膨らみがつかめたからだ。やわらかさを知っているからだ。トワンの背中やお腹や尻尾のこと足の裏を毎晩洗ってやっている人ならば、綺麗な羽を彼に与えてやれるだろう。最高に白くて輝く雲の羽。毎朝ガハクと散歩するとき付ける羽。(K)

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修正の悪魔

アトリエの壁に自作の銅版画をいくつか額装してかけてある。正直言えばそのほとんどが気に入らない。真剣にとりくんではいるがただその気になっているだけで稚拙だし銅版画というものを何もわかっちゃいない。今ならもう少し何とかなりそうだと感じると全てを直さないで死ぬわけにはいかないと思えてしまう。ジャックメリヨンのように修正の悪魔にとりつかれてはいけないが。(画)
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海と山の境界線

今日は月光にチラチラ光りながら揺れる海と、海底まで透き通って見える海と、そこに滑らかに入る山を彫っていた。山を磨くと、月の人たちの足先が際立って来る。

トワンの形がだいぶすーっとして良くなった。雲の羽も似合って来た。これがあると浮かぶようにして軽く歩けるのだ。

この頃斜め横跳びを筋トレメニューに入れている。自転車でバランスを失った時でもパッと足が出るようにバネを鍛えている。(K)

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イヴィッチ

サルトルの「自由への道」に出てくる人物。自己実現への熱い思い、精神と行動の自由への願望が時代と環境の壁に囲まれ出口を見つけられずに悩む若き女性として描かれている。奇異で時に鋭い言動は彼女の特徴だ。友人に美術展に誘われ拒絶する「自分のものにできない絵なんか観に行ってもつまらない」がすごく印象に残っている。
サルトルは色々な人物を夫々の視点から描き分けるという技法を駆使して書いている。未完に終わった最後の章が一番好きだ。(画)
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左手の役目

右手の方は気に入った形になったのだが、左手の方が遅れていた。線彫りのニュアンスが魅力的で一旦出来上がったものをなかなか壊すことが出来なくなっていたのだ。いざ覚悟を決めて彫り直し始めたら、ここまで数時間かかった。右手は力で左手は掬うのだ、というようなことを考えながら彫っていた。表情が違えば仕事も違うし目的が違う左の手がやっと美しくなったところで、休憩。

ときどきザーッと来る変わりやすい天気だった。ふと思い立って外に出て、野原に突っ立っている蛇口を捻ってみたら、久しぶりに水が出た。明日こそラッキョウを掘り出してじゃぶじゃぶ洗おう。(K)

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新しい意識の発見

表現法の自由は素材の扱いに始まって作業の微細な部分まで及ぶということを理解しないといけない。この技術は自分から初めて始まるんだという気持ちで技術に向かっていけたら、どんなに新鮮なものができるだろう。新しい意識の発見は新しい表現の発明だ。(画)
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そこに在るように彫る

月は夜のものだが、月を彫るのは昼間がいい。

くっきりとした線で囲んでみたら、面は微振動しながら光り始めた。空との境界線を際立たせるのに今日までかかった。ここをこうしたいというような強い意志を持って線を彫るには、時間の堆積が必要だ。

いつもそこにあるのが当然という月ではなくて、ほんとうに美しい月に出会ったときのことを刻むのだ。海に沈んだ月の方も彫り直そう。きっと美しくなるだろう。(K)

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インクの残し方

少し版画の作り方に自由度が増したという気がする。技法だけでなくモチーフの選び方や表現の仕方、彫る道具の使い方など。インクの拭き取り技術さえ自分なりの方法でいいのだと。思えばこの拭き取りというのが一番わかっていなかった。どういう風にインクを拭き取るのがベストなのかはどこまでインクを残したらいいのかと同じことで、その答えは自分で出さねばならないというのにやっと気づいた。(画)
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深海の花

『白い人』が出た夜は空気が青く澄んでいて深海のようだった。私はその異様に背が高い人には気がつかなかったのだが、あの月夜の空の色はよく覚えている。海の底に広がる丘陵を感嘆しながら眺めていたのだった。

ある装置を見たことがある。水を生む装置だ。ファイバグラスで編んだ繊細な布を帆のように立てて、気温が下がって太陽が隠れた夜の間に空気中に漂っている水分を吸着させて滴らせ、器に受けて水を得るのだ。あのアイデアは素晴らしいと思う。

ミスティーな夜に咲く花は空にあるものを地中に下ろす仕事をしている。(K)

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夜明け前の鳥

思いを込め気合を入れて始めたり、綿密に計画を練ってからとりかかる作品よりも、何となく作ってみようかと気軽に始めた方がいいものができたりする。そんな作品になりそうだ。
鳥は水の流れの中にある石の上で一夜を過ごすのだろう。もう少し夜の森は深くなければならない。(画)
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