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2017年4月

透過する形

『透過する光線』を彫った頃に比べたら、今はかなり自由になった。思い浮かんだものを疑わずすぐにとりかかる。石の上に描いた線が生き生きして見えたら、きっと形にできると確信できるのだ。今夜は風と水を重ねて彫った。ケルビムの輪が風を起こすと水は喜んで波立つ。白い泡が笑っている。

昼間はガハクの油絵を入れる為の額を4つ製材した。すぐに接着され組み立てられた白木のままの額の中に入った絵がとても美しかった。少しずつ実現している世界がここにある。(K)

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描き続ける幸福

ピカソがジャコメッティを訪問したという話を矢内原伊作が書いている。アトリエに二人だけで数時間も閉じこもっていたそうだ。ジャコメッティはピカソを評価していなかったし、ピカソのような早描きで多作な人が、一枚の絵や彫刻を作っては潰し潰してはまた作るという行為を延々と繰り返すジャコメッティを理解できるはずがない。同じ一枚の絵をずっと描き続ける幸福を知ることはなかっただろう。(画)
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雲と雨と光

やっとトワンの背中の羽が美しく彫れた。今夜、海の上に浮かぶ雲を一つ増やした。この小さく可愛らしい形が気に入っている。どんどん削り落としてそぎ落としているのに、増えて加えられることもあるのだ。まったく予想していない時に思いもつかぬ場所にぴょんと浮かぶ形がある。それをそのまま素直に刻むときっと楽しいものが出来る。それはほんとうに小さな存在だけれど必ず全体によい影響を及ぼす。そしてそれはずっと変わらず可愛らしく美しい形をしている。春には春の、冬には冬の出現があるのだ。(K)

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装飾と写実

絨毯の模様の描き直し。右側に続いて左側を描いている。トワンの座る敷物と絨毯の模様との関連が新しく生まれそうに思えてきた。装飾的なものと事物のリアル感とがより親密になりそうで面白い。(画)
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物語を削り落とす

川を削り落としたら女の手が自由になった。示唆と暗示は消えた。ふわっふわっと空から降りるとき、髪は緩やかに揺れ、手は空気を抑えるためにわずかに丸みを持つだろう。少し彫り直した。

春はいい。冬を越えたものたちが振り出しに戻るわけじゃない。去年より大きな枝に大きな花と大きな葉を付けて鮮やかに雨に濡れている。物語はシンプルに。造形美が先行する。(K)

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男性的?女性的?

絵を描くという事はテーマを決めたら方法を決め課題をこなして仕上げるという男性的な行為なのだとピカソは言ったそうだ。ボナールを引き合いに出し、彼は計画もなしで始め思いつくままに描き続け、いつ終わるとも知れぬ女性的でだらしない描き方をしているからダメだと。正に耳の痛い話でもあって度々浮かぶ言葉ではあるのだが、今日はふと逆の発想が浮かんだ。そこにピカソの可哀想なところがあるなという。いつまでも一枚の絵を描き続けることの幸福感が彼にはなかったんだなと。
↓絨毯を全体的に修正しようとしている。(画)
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春に彫る

新緑の美しさに毎日うっとりしながら自転車を走らせている。刻々と動いている山の緑と庭の梢。今年はリンゴが去年の数倍花を付けた。これはすごいことなんだ。死にそうだったあの木が枝いっぱいに花を咲かせるなんて、数年前は考えられないことだった。

今日は決意した。リンゴの木の再生を皮切りにして、未完成のままに放ってあった彫刻を一つ一つ作り上げて行こうと。その仕事が終わるまでは死なないでいられるだろう。いや、気がつかないまま向こうに行っているかもしれない。

雨は斜めにすると雨らしくなる。そこに風があるということだ。桜もだけど、雨も風と仲良しなのだ。(K)

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Mac

世話していたのか世話されていたのか分からないが一日中Macに張りついていた。夜中になってようやく解決の糸口が見えたので楽な気分になった。今日はカドミウムイエローを練っただけでほとんど絵を描けなかった。↓これは昨日少し描き直した「Mの家族」猫。絨毯の模様も明日はもっと描き直せるだろう。(画)
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水脈

水の流れをなんども彫り直しながら探っていたら、突然閃いた。遠望した森の中にキラッと光る幻の滝の形が見えた。ブツッと切れる水脈はどこに行ったのか?そんなことは構わない。表に現れたものを彫るだけだ。霊的継承を表象するように水は地下に潜ってどこからかじわっと溢れ出す。失くなることは決してないのだ。(K)

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できるかできないか

意識していなくてもできる場合がある。意識していてもできない場合もある。できるできないと意識の有無は無関係ということになる。長所と呼ばれる得意な領域のすぐ横に大きな欠点がある。長所というのはその人間にとって唯の自然力に過ぎないから伸ばそうなどと思わなくても伸びていってしまう。反対に短所こそ個性だと言える。短所を覆い隠そうとしないでしっかり見つめていけたらいい。そこに大きな突破口があるに違いない。(画)
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樹海の中の道

長い間放置されて荒れ放題の山の中にもぽっかり開けた場所がある。日当たりが良い庭園のようだ。そこから森に入る道がある。

昔そこが鉱山だった頃に作られた広い道で、ところどころに人工的な排水路や水を送り込むのに使っていたらしい鉄製のパイプラインが草むらに露出していたりする。

鬱蒼とした森を左右に分けるくっきりした影は、人が作った道がその下にあることを示している。動物が歩く道にはそんな影は出来ない。遠くから樹海を眺めると、山の上の方へ、光の方へと続く道がはっきりと見える。そういう道を森を彫りながら作っている。(K)

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死は卵だ

田村隆一の詩の一節にそうある。死をどう捉えるか。この捉え方は美しい。小説の中で死の瞬間を書いたものを思い出そうとしてみた。サルトルの「自由への道」でマチュの死の瞬間を表す場面は「15分」…意味はそこまで読まないと分からない。大江健三郎の「洪水はわが魂に及び」主人公の最後の場面に「そして誰にもやってくるものが彼にもやってきた」と書いてあった。残念ながらそこまでか。マルカムラウリー「活火山の下で」の「彼女はその瞬間たくさんの星々の中に浮かんでいた」というのにはハッとした今でも一番惹きつけられる。(画)
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滝不動

今夜は女の髪と川を彫った。二つの帯は動きが真反対だが、ひとつながりのように見える。

このイメージには裏山の滝がある。梅雨時にだけ出現する小さな滝だけれど、傍の岩には線彫りの不動明王が彫られている。そんなに古いものでもなさそうだが線に媚がなくて好きだ。不動明王は悪魔を下し、仏道に導き難い者を畏怖せしめ、煩悩を打ち砕くのだそうだ。彼女の意思を目から読み取る。(K)

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少女

朝アトリエに入ってこの絵を見た途端ドキッとした。いけないものを描いてしまった気持ちがした。しかし僕には幼女嗜好は全く無い。ある種の絵画、例えばバルチュスが描いている少女像などはポルノにしか見えない。趣味のよろしからぬ絵だと思う。自分にも少女への美しさに惹かれる気持ちがあると気づいたのは最近のことではあるが、観念的なもので実際の少女にはそれほど感じない。(その反対に?)若い女性にもあまり興味がなくなった。これも年齢のなせる業かな。(画)
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空に月あり

水の中の月がうまく彫れたので、空の月も彫り直しにかかった。月が球体であるというのは誰かに教えられたことで、それより前に見た最初の月はもっと大きくてずっと美しかった。坂の上に出て来た月を今も覚えている。

月に照らされて山からゆらゆらと立ち昇るものが見える。狭い谷から水蒸気が上がっているのだ。今夜は春の満月だ。(K)

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寒日

花冷えというのかひどく寒い雨の1日だった。ここ連日の暖かさに慣れてしまったせいで、歳のせいもあるだろうがストーブに当たっていてもうすら寒い。こういう日はイーゼルの前に腰を下ろしたら動かなくなってしまう。じっと絵を見ながら今は枚数よりも一枚の絵にゆっくり時間をかけるべきだと思っていた。花を持つ少女の像を加筆。(画)
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膨らむ海

水を彫るのが面白い。透き通った水の色、泡立つ波。今夜は水平線から僅かに離れて浮かんでいる雲を彫った。光が斜めに雲を切った。本当は雲より光の方が強いのだ。ただ、人間は剥き出しの光には耐えられないので雲で和らげられて地上に届いているのだそうな。

今日はアトリエの畑に新しいネットをかけた。だいぶボロボロになっていたのだ。雪の重さで破れ、猿に破られ、猪に突進されボロボロで継ぎ接ぎだらけだったのが、すっかり立派になった。

陽を受けてじりじり膨らむ海のように、ゆっくりだが確実に船は進んでいる。(K)

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絵を作るのを諦める

絵を前進させるには絵を作るということを諦めないといけない。絵は描いていればどうしてもできてしまうか、どうしてもできないでいるかのどちらかだ。そう気づいてしまえばどんな窮地に至ってもいくらでも試みることができるし、いつまでも終わらせる必要がない。絵とはそういうものだ。(画)
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月の住処

月は自分に相応しい場所を知っているようだ。今日はピアノと奔流の間の溝を深くするところから始めた。すると流れは向きを変え再び山の後ろに回った。激流がなだれ込んでいた海は急に静かな湖水になり、月は光りながら水底まで降りた。月の住処はここに決定だ。(K)

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過剰こそ美なり

とブレイクは言ったそうだ。しかし僕らは一番いい状態の時に筆を止めろとよく言われ、そのおかげでずいぶん不自由な思いがした。だってそれがいつなのか?今なのか?もっと先の状態なのか?しかしそれをどうやって今知るんだろう?それは経験によって…。残念ながら未だにそんな先見性を獲得していない。だから今日より明日の方がこの絵はきっと良くなる、その方が自由に絵の前で振る舞えるからそうしている。
今はとりあえず密度をもっと上げたいと思っている。(画)
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鞴場(ふいごば)

鞴(ふいご)は元々は鍛冶をする時に風を送る手動の(足で踏んだり押したりして使う)装置のこと。今は言葉だけが残っていて、鍛冶屋仕事を指す。

今日はいつもより早くアトリエに出かけた。サマータイムだ。明るい昼間の光の方がノミの焼き入れが上手く行く。夜だとどうしても鉄の赤みが強く感じられてつい甘く入ってしまうのだ。送風機の風を強めにして、キンキンに焼きを入れた。(つまりコークスの火力を上げて、鉄ノミの先端を赤熱させ、水で急激に冷却して焼き入れを硬めにしたということです)大理石でも石の産地によって硬度が違う。今彫っているシベックと呼ばれる旧ユーゴスラビアの大理石は緻密で真っ白でとても硬い。大理石の中では一番硬いかもしれない。イタリアとアメリカのも彫ったけれど柔らかめでノミの喰い込みも切れ味もそれほどシビアではなかった。

↓下の写真は、先端の鍛え直しが終わったところ。これから焼き入れが始まる。太さは中と細めの2種類、形は燕ノミ、平ノミ、櫛歯ノミの3種。ぜんぶで76本を1時間で作って、30分で焼き入れした。今日は手際が良くてハイスピード記録を樹立!進化し続けている。老いは成熟か、少しは知恵もついて来たようだ。(K)

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黄色

カドミウムという絵具を知ってそれまでの黄色の苦労からすっかり解放された。名前は聞くだに恐ろしいが絵具となるとこれほど強い黄色は他に無い。色味もレモンからオレンジまで豊富に揃っている。↓絵の黄色もカドミウムオレンジ。黄色といえばゴッホのひまわりが思い浮かぶが彼もカドミウムを使っている。同時に僕には使えなかったクロームイエローも同じ画面上に置かれている。それもライト、ディープなどをそのまま並列するのだ。少し違った色味の黄色を大胆に使う、僕には到底できない芸当だ。(画)
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器の用意

器の用意が間に合った。この歳になって理解が進み腕が上がるなんてことがあるとは思ってもいなかった。結構自分はやれる、才能があると思っていた頃は本当は大した事はなかったんだな。体の中にしみこんでいた杉林の陰影が彫れた。美しいものが彫れた。

空の上から降り注いでいるのは清らかな水か?それとも甘い蜜か?白く輝くミルクだろうか?酒じゃないのは確かだ。酒は脳がやられる。酒のことばかり考えていること自体が執着だ。綺麗な器にふさわしい飲み物は彼を詩人にする。(K)

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イメージがあるなら

説明しようとすると大抵失敗する。あるイメージを先見的に捉えたと思い込むと描いて行くうちに見えなくなり探し求めるようになってしまう。イメージがあるから絵を描き始めるには違いないが描く時にはむしろ忘れるようにしよう。まるで何もないから湧き出てくるのだと構えたらきっといいものができる。その時それこそが始めに思い描いていたイメージだとなるに違いない。(画)
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森の蒸気と月の粉

空の深さを出すためには森の奥行きが必要だ。森の塊は山の形状を示している。深い谷がある。浅い襞もある。針葉樹の一本一本がその足元の地形を教えてくれる。

空と森は親密な関係だ。森から立ち昇る蒸気は、降り注ぐ月の粉と交換される。

空と森を行ったり来たりしながらゆっくり彫り進めている。見えた時に解ったことを確実に実行する。(K)

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アトリエには鏡が何枚もある。制作中に時々鏡に絵を映して眺める。左右を逆にしてみて初めて気づく事もあるからだ。時々後ろに下がって絵全体を見るという習慣を覚えたのは絵を習い始めてすぐの事だった。まもなく鏡を使って見るというのも覚えた。後ろに下がる余裕がない場合は車のサイドミラーを使うと広く見えて便利なので今でも時々使う。部屋の隅に立てかけてあるこの鏡は母親が生前使っていたものだ。(画)
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存在の有り様

小さくすれば遠ざかるかと思ったが、そう簡単には行かなかった。蝶のイメージを引きずっている限りどんなに小さくしても他のものとのバランスの悪さが出てしまう。刻み方をすっかり変えて輪郭をぼんやりと柔らかくしたら新しい存在の仕方を始めた。夜空に刻みつけるのではなくて優しく漂っているように、存在の有り様もまた美しいように、これは夜の光を集める漏斗なのだから。(K)

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