引き上げられる角度

何かに寄りかかっているように見えていた男の体が、急にふわっと宙に浮いた。腕の後ろをすっかり抉ったからだ。手の周りの面をスッキリさせたからだ。引き上げている人の腕と引き上げられている男の腕の角度がポイントだ。向かうところは決まった。よし、行くぞ!(K)

F1000074

|

時間空間

あの時のあの場所あの物あの人が今は存在していない。どこにもないという事実を理解しているつもりなのに感覚的には納得できないでいた。
見るという行為があるだけで光というものは存在しないという。それをさらに延長してみると常に状態の変化があるだけで時間というものは存在しないとも言える。そしてまた空間というイメージがあるだけで空間も存在しないのだ。時空というものは絵や彫刻のようなイメージの記録媒体のおかげで人に植え付けられた錯覚なのだ。
植物にはそれが分かっている。発芽し成長し花を咲かせ実をつけそれが次の個体を生む。常に状態の変化があるだけだ。しかしそれは全く以前と同じものではないのだ。(画)
Dscf9015

| | コメント (0) | トラックバック (0)

幼いマリアとそのチーム

まっすぐ彫刻に近づき一人一人を指差しながらマスター、
「これはガハクさん、これが奥さん、これは飼っている犬でしょ。えーっとこれは誰だろう?」
天使ですと答えると、
「あゝやっぱり」今回もまた懐かしさと親しさを持って迎えられたのだった。

少女がこんなに可愛らしく彫れたことは今までになかった。自由と無垢が一緒にひとりの人の中に内包されている姿を理想としている。深慮と勇気もそうだ。ふたつはひとりの中に矛盾なく存在している。いつも立ち止まってじっと見つめること。寡黙な観察が大事な時の瞬発力を生む。(K)

Dscf8940

|

狂気と阿呆

修正するのと新しく彫るのとどっちが楽ですか?とデナリのマスターに訊かれた。新しく作る方がある意味楽だ途中でいくらでも作品になる、修正する作業は削るのに手間がかかり途中で止めることができないから、と答えた。一方で「間違った線」を叩き台に「正しい線」を見つけるのは楽かもしれないとも。
なぜ修正することを優先するかと言うと作品をそのままの状態では置いておけないと思えるからだ。もっとよくなるんじゃないかという気持ちを捨てられない。
銅版画家のメリヨンは死の直前に全ての自作プレートを廃棄したそうだ。死んだ後に自身の不満足なできのプレートを元に再刷されるのを恐れたからだという。これを彼の狂気の為せる業だと言う人もいる。
現代の一部の銅版画家は刷りの終わったプレートにタガネで大きく深くバッテンを刻む。作品の希少価値を守る為という理由。こっちは狂気ではないが阿呆くさい。(画)
Dscf9003

| | コメント (0) | トラックバック (0)

デナリとの出会い5周年

今日はデナリに出かけた。中に入ると、どの席にもお客さんがコーヒーを飲みながら談話していて賑やかだった。彫刻『荒野を行く』をどこに置こうか迷っていると、マスターがすぐにレジの横にスペースを作ってくれた。店を見渡す場所だ。出かけに車のドアで頭を打ったから、今日は心して掛かれよと肝に命じてもいたのだが、その不安は一気に溶けて行った。

「今度のクリスマスでちょうど5年になりますね」と、この春からお嬢さんもスタッフに加わってぐっと明るくなった店内を見回しながら話した。

ガハクの銅版画はたくさん入れ替えた。彫り直した新しい画面と古い画面を見比べながら、夕暮れになって一旦お客さんが引いた後の静かな中、四人で話していると時間を忘れる。油絵は3点入れ替えた。画風は変わらぬが、凄みは増しているなと壁にかけてから思った。

彫刻はどれもすっかり居心地良さそうにしているので、今回は持ち帰らずに全てマスターに任せた。雨が降り出した頃に帰路に着いた。今日の雨はいい雨だ。(K)

Dscf8990

|

ペンキ塗り

デナリに展示する油絵の額もこの塗装で仕上がりだ。こういう事をする度に、僕が中学生の頃、家の門柱の塗装をした時のことを思い出す。父親に言われて外の往来に面した駐車場の角柱を刷毛で塗っていたら通りがかった労務者風の男二人が足を止め僕の仕事ぶりを眺めだした。やがて、
「そんなにノロノロやってたら綺麗に塗れないよもっと手早く刷毛を動かして」と一人の方が言い始めた。僕がそうしようとしたがまだ不満らしくもっと早くもっと手早くと手真似してみせる。するともう一人の方が
「そんなに言うならお前が塗ってやれよ」と言いだした。
すると言われた方は僕から刷毛と塗料缶を受け取り素早くサッサと塗り始めとうとう最後まで塗り終えてしまった。
「やっぱりプロは違うな」と満足そうに二人は去っていった。家に入ったらその一部始終を見ていたらしい父親に「タダで勉強させてもらったな」と嬉しそうに笑われた。
という思い出。今でも塗装は苦手だ。(画)
Dscf8984

| | コメント (0) | トラックバック (0)

夜の木

月明かりにぼおっと浮かび上がる幹を彫っている。光が当たっている所は膨張し、黒い影の中では質量の無いものたちが盛んに揺れ動いている。そういう英気を吸って植物は夜に成長する。今夜は影の中の形を彫ることに集中した。(K)

Dscf8962

|

今の限界

いくらいじってもそれほど変わらないと思えて来た。だから完成とは到底言い難いがここで一旦やめることにする。あくまでも中断なのであって完成ではない。今まで一度でも完成したと思えたことがなく、いつも作品がこれ以上のできになりそうもないと感じた時に止めているだけだ。完成への精神集中力がないのか思い切りがないのか。
また何か思いついたら修正するつもりだ。(画)
Dscf8958

| | コメント (0) | トラックバック (0)

犬の目

やっと彫ることが出来た。毎日トワンの目を覗き込んでいるからだろう。老犬になって耳は遠くなったし、目も少し曇りが出て来たように思えてじっと瞳の奥の澄み具合を観察している。まだ見えるようだ。これからだんだん霞んで来るのだろうが、その柔らかな眼差しはどんどん可愛らしくなって行く。庭に出ると必ず跳ねて見せたり、飛びかかって闘争ごっこに誘ったりする。疑うことを知らないその目は愛を照らし返す鏡である。「求めよ、さらば与えられん」とはこの眼差しのことか。(K)

Dscf8937

|

モノクロームの理由

先日小学生達が見学に来た時に版画を見て「なぜ黒一色なんですか?」という質問があった。
即答できずにいたら付き添いの先生が「それはそういう味わいを楽しむものだから」と代わりに答えてくれた。僕は答えずそのままスルーしてしまったw
モノクロームで描く理由は昔から色々あるのは知っている。技法の洗練の他に単色の絵には多色絵画にはない独特の味わいも面白さもあるから。しかしそうとは知っていてもその本当の理由は習慣ではないかと思っている。地球上にはその妙味を知らない民族もいるらしい。ゴッホの逸話に出てくるアラビア人の事例もそのひとつだ。でもたぶんそういう人達はその方面の感性が未発達なのではなく単にそういうものを味わう教育と習慣がないだけなんだと思う。(画)
Dscf8954

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«直視