風の車輪

脚と手の間の狭い空間を今日は深くえぐってみた。すると、風が抜けて、光が通った。曖昧だった女の手の位置がこれでやっと決まった。風を巻き起こす車輪をコントロールする様に上からぐっと抑えつけていたのだ。車輪は地面を削りながら勢いよく山を登って行く。白煙に包まれて山がぼおっと浮き上がる。車輪の巻き起こす風に乗って彼女は離陸した。(K)

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画家はカッコイイ

左半分がドライポイントの下書き、右半分がビュランで彫った線。
遅々として進まないエングレービングという作業を続けているといつも思い出すのは、ウィリアムブレイクが死の病床で「ヨブ」のシリーズを彫り上げたという逸話だ。ベッドで半身を起こして彫ったというのにあの表現力の強さと完成度の高さだ。時の権威に反抗し富から遠く孤高に独創的な思想と芸術を作り上げたブレイク。何てカッコイイんだろう。
全てのホンモノの芸術家はとにかくカッコイイんだよ。僕が画家になりたいと思ったのは画家ってカッコイイと思ったからなんだよ。ダサい画家ってダメなんだよ。権威や富や名声に汲汲とする画家なんてどうしようもなくかっこ悪いんだよ。(画)
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夏至から夏至まで

『月の人たち』を彫り始めてちょうど1年経った。夏至から夏至までだ。今日は男の腰のラインを調整していた。後方の空間に風の渦のケルビムの輪を彫ろうと思い立ったのは良かった。空から滴る流れを山にぶつけることにしたのも面白いアイデアだった。あとは月の光がくまなく広がっている様に、海の底まで照らしている様に彫りたい。まだまだ続く。ずっと彫っていたいものがあるというのは幸せだ。いつまでもこうやって生きて行くことが出来れば最高だ。ゆっくりと進もう。夏の太陽と仲良しにならなければ。(K)

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作品の値段

試し刷りの段階。下描きのドライポイントの線をビュランで彫っていく。適当に引かれた線を適当に彫るのにも拘らず時間と集中力が必要だ。始めは非常に面倒くさく感じる。
さてこの版画ができたらいくらと値段をつけるか?ジャコメッティが自身が描いたデッサンの売上金の法外さに憤慨したが、結局その代金を受け取ったという話を矢内原伊作の本で読んだ。割と好きな話だ。
作品の価値なんてものこそ世間的にあやふやなものはない。ましてそれが経済性に組み込まれるなんて無意味なものはないじゃないか。よしこれからは自作に勝手に法外な値段をつけてやろう。
でも売れないからそう思うんだろうな、売れ始めたらやっぱり正当性を考えてしまうに違いない。どうか売れませんようにw(画)
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善い人の匂い

善い人の傍にいると良い匂いがする。焼き立ての香ばしいパンの匂いだ。小麦色のこんがりした色さえ目に浮かぶ。ケルビム一家の男を彫りながら思い浮かべているのは、そういう人たちだ。

毎回パン焼きをやっているガハクのレポートによれば、酵母を加えると捏ねている生地が急に硬くなるのだそうな。生きているものの反発力や弾力が抵抗感となって直に手に伝わり感じとられるのだろう。バターを入れるとしっとり柔らかくなり、塩を入れると甘味が増す。今までに塩を入れ忘れたことが数回あって、何とも間の抜けたぼんやりした味だった。塩は大事だ。

「塩は良いものである。もし塩に塩味がなければあなたたちは何によって塩味を付けるのか?」というシンプルな問いがある。塩が表象するのは真理だ。塩のない人とある人をどうやって見分けるか?いっしょに仕事するなら、共に生きて行くならぜひとも塩味がある人と組みたい。(K)

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銅版画始めました

最近は木版画ばかりで銅版は久しぶりだ。だから版面を磨く手間がかかるというのを忘れていた。木炭で磨きペーパーで徐々に番数を上げ最後にピカールで磨く。完璧にしたければピカールの前にバニッシャーという金属棒で磨いておく。そうすると鏡のようになる。古代の鏡はこれだった。
そういう手間を忘れていた。なんでもすぐ忘れる。ある人のブログにあった「人々は記憶がないから何度でも間違うのだ」は僕のための言葉だな。でもその記憶力不足のおかげで何度でも発見したという思いが生まれその度に喜んだりしてるのかもしれないな。他人から見たらデジャブとしか見えないとしてもさ。(画)
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夏の始まり

今日は空気が乾いていて気持ちが良いので早く出かけた。午前中には彫り始めていた。温度計を見たらまだ26度だったが、だんだん気温は上がっていたのだろう。トワンの耳の位置や目の辺りの小さな範囲をしつこく探求していたら、少し頭がぼおっとなって来たので紅茶を入れて一休み。

今日はトワンの右目にいちばん時間をかけた。頭頂から背中にかけてのライン、前脚もかなり細くした。老いてやっと甘えるようになった犬のやさしい姿、素直な形をいつまでも彫っていたい。愛するものを彫っている時がいちばん幸せだ。

少し熱中症になりかかったらしい。家に帰って夕暮れの涼しい沢風に吹かれていたら元気が戻った。今日から夏が始まったようだ。ここを上手に乗り越えられたら、この夏は素晴らしく楽しいものになるはずだ。リンゴがあんなに実っているのだから。(K)

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待ち受ける

もう少しスンナリいくかと思ったが苦労している。こういう時は何を描きたかったを思い出すのではなく起こることを待ち受けるように描くしかない。いつだって放り出せるんだし。(画)
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美は闘う

鹿と男はすぐ横にいながらも異空間にいるようにしたいのに、互いの光が反射して輪郭線が白く光って甘くなる。ここ2日ほど覚悟を決めて側面の精細な面取りを始めた。へその位置をわずかに上げた。膝と足首もえぐった。太ももの内側の影が重要なのだと気がついた。最後の重大な作業は、背景に食い込むほどに輪郭線を廓然と彫ること。写真やモデルを見ることはしない。夜寝る前にシャワーを浴びるとき自分の脚や腰を見下ろして眺めて少し考えるくらいのことだ。ヒントが与えられることはある。でも、ほんとうの形は彫っている時に教えられる。こうではない、こうじゃないと、何度もやり直しているうちに、はっきりと見えてくる形があって、そういう形は完全なものに近づいているという確信と喜びを伴っている。休まずに一気に彫る。ぜんぜん疲れない。楽しいんだ。ほんとうの形が分かるということは素敵なことなのだ。(K)

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堅い線

ゴッホの友人だったエミールベルナールは「ものを掴むように描こうとして硬くなっている」とゴッホのデッサンを批判している。またセザンヌの絵画理論を後世に伝えたのも彼だった。自然物の構造を幾何形体的に再構築して表すといういわゆる「セザンヌ理論」だ。そのどちらも絵の本質を技術的な問題だけに限定してしまうという大きな偏見から生まれている。
ゴッホの線は、ものを前にした時に感じた強烈な感性を独創的に表したものだし、セザンヌもまた、自然から受ける澄み切った感動を情感に流れないように捉えようとした彼独特の方法論だったのだ。
アマリリスを描きながらゴッホの強烈なひまわりの線を思い出していた。(画)
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